劇作家もとい激作家より

人類が見続ける二つの夢について

不思議でしょうがなかったことがある。
"夢"という言葉。日本語の"夢"には二つの意味がある。
一つは、眠っている時に見る"夢"。
もう一つは、将来の"夢"とか、願望という意味での"夢"。

意味が違うのに、一つの言葉で表されている。
実は、そういう言葉はたくさんあって、
例えば、フランス語のパピヨン。この言葉は、
蝶をあらわす言葉でもあるし、
蛾をあらわす言葉でもある。
フランス語では、蝶と蛾を分けない。
日本語では、蝶と蛾は分けられる。
パピヨンと、蝶と蛾の間にあるのが、文化の差である。

というわけで、"夢"という言葉が、
眠っている時に見る"夢"と
願望という意味での"夢"と、二つの意味を持っていることは、
とりあえずは良しとする。

僕が、不思議でしょうがなかったのは、
なぜ、"dream"も、同じように、
眠っている時に見る"dream"と
願望という意味での"dream"と、二つの意味を持っているのか、
ということなのだ。

実は、"dream"だけではなくて、フランス語の、
"reve"(アクサンの表記は、無視)も、同じく、
"夢"を意味する言葉であり、これも、
眠っている時に見る"reve"と
願望という意味での"reve"の、二つの意味を持っている。
少なくとも、僕が知る三つの言語で、
"夢"は、眠っている時に見る"夢"であるとともに、
願望という意味での"夢"であるのだ。
これは一体、どうしてなのか?単なる偶然なのであろうか?

否、これは言語学的偶然などではない。

人は、自分の願望を眠りと共に"夢"に見る、
僕らの祖先は、このことを直感的に知っていた。
だから、どこの国の言葉でも、
夢はいつも、二つの意味が重なり合っている。
夜、眠りと共に"夢"を見ることは、
自分の願望と向き合う、人間の根源的な営みであったし、
これからも根源的な営みでありつづけるのだと思う。

枕闇はそうした"夢"の、ちょっと不思議なお話である。


鈴木厚人


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