
5月2日。午前。
私用で金沢を訪ねたついでに、21世紀美術館に行ってきた。
なかでも、おすすめは「ロン・ミュエック」展である。
ロン・ミュエックは、オーストラリア人で、
人間の精緻な模型?人形?を作る芸術家なんだけど、
何がすごいって、あんた、でかいんだよ。作品が。
俺が一番好きだった作品が、「In Bed」っていうやつだったんだけど、
シーツにくるまってベッドに座ってる女が、座ってるだけで2mぐらいある。
全長だと5,6mか?実際に自分の目で見ると、でっかいぞー。
5,6mある女の肌が、透けて見える青い血管まで細かく再現されてる。
髪の毛や体毛も、馬の毛を一本一本植えていったそうで、
ハイパーリアルなんだ。
リアルで、でかいってだけで、
グロテスクに見える。グロテスクに感じてしまう。
でも、見てしまう。見入ってしまう。
人間が心底見たいのは、人間自身なんだって思い知らされるね。
バナナマンのコントに「宮沢さんとメシ」という名作がある。
で、去年の終わり頃、誘ってくれる人があって、
俺は宮沢りえじゃないけど、白石加代子と飯を食った。
白石加代子って、女優と書いて、バケモノと読む、そんな大女優。
暇な人は、梶芽衣子の「女囚さそり 第41雑居房」
というちょいエロい昔の映画を見てね。あの印象が強かったから、
どんなバケモノなのかなと思ってたら、
超ー、綺麗なのだ!
ああ、女優ってすげえ。
これがホンマモノ・本魔物の女優のオーラか、
腰が抜けたね。ついでに目も落っこちるぐらいだった。
色が白くて、声が低くて、その声も、
「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」の公演中だったから、
嗄れてた。あの声の出し方だからね。そりゃ嗄れるんだ。
で、よく笑う。
これがかわいい笑顔でさ。ご飯もすごく美味しそうに食べるんだ。
その笑顔がね、かわいいんだけど、ブラックホールなの。
吸い込んでるんだよね。人生の小さな幸せを。
かき集めて、ためて、舞台で爆発させるんだろうね。
ブラックホールだから、隣りに座ってると、
吸収されるの。呑まれるの。
女優はブラックホールだね。
これは、俺の周りの女優さんたちにも、真似してもらいたい。
掃除機レベルじゃダメなんだよ。
ブラックホールで、吸い込みまくってほしいね。
客席がガラガラの劇場では芝居をしたくない。
だから、出来るパブリシティはなんでもやる。
そんなことも言ってた。こっちも真似してもらいたい。
4月11日。午後。
もうすぐロンドンに行ってしまう賢治から、
「空白」の舞台写真を受け取る。
舞台の照明は、写真を撮るには暗すぎることが多いのだが、
それでも、賢治の写真はよく撮れていた。腕が上がってる。
色温度の説明を俺にしてくる様に、
賢治の成長を見た。時間の堆積を思う。
舞台照明について、また、舞台写真についても話す。
照明や写真の魅力は、
まず第一に切り取られた一瞬の美しさ。
写真一枚での美しさである。
果たしてそうだろうか?
というのが、時間芸術である演劇の照明であり、
写真集の面白さである。
切り取られた一瞬の美しさを、どういう構成で見せていくか。
Aの写真(照明)の、次のBの写真(照明)の間には、
どういう差があるべきか。
必ずしも、美しい写真(照明)だけが同じように並ぶものが、
全体として見て美しいとは限らない。
劇団印象-indian elephant-第9回公演「青鬼」
にご来場いただいたみなさん、
本当にありがとうございました。
今回もたくさん、スタッフ、役者とケンカしました。
殴り合いはありませんでしが、
ああ、やばいなってぐらいの口論はしました。
結局、それは、作品が"僕らの"作品になるための、
通過儀礼だったのかなと今となって思います。
お客さんはそう思わない。いや、お客さんもそう思う。
お客さんはそう感じない。いや、お客さんもそう感じる。
そんなことを言い合っていました。
結局、演劇は作・演出の一人の作品ではなく、
お客さんも含めた、スタッフ、役者の、
"僕らの"作品なんだと思います。
"僕の"作品ではなく、"僕らの"作品である以上、
誰かが、物言いを遠慮するような現場であってはならない。
それを踏まえて、作・演出の僕が、
何を妥協しちゃいけないのか?
やり続ける以上、付き合っていかなきゃいけない大問題です。
一人でも多くの観客のみなさんに、
"僕らの"作品と呼んでもらえるように、
また、頑張ります。
慎吾がカットされてなければ出ている、
英美が90%ぐらい出ている、
映画「クローズド・ノート」(監督:行定勲)が、9/29(土)に公開だ。
テレビでも、沢尻エリカが、宣伝のために、「スマスマ」に出てたり、
「おかげでした」に出てたりしてる。
この間の、「おかげでした」の食わず嫌い王の、
エリカ女王はすごかった。
まず、化粧がすごかったし、
映画に対してのコメントが、
「まぁ、スタンダードなラブストーリーです」
「すごい特別なメッセージがあるわけでもない」
とか、宣伝になってない。むしろ、逆宣伝になってるのに、
あの痛快さはなんだろう。
エレキコミックの谷井さんは、天才だと思う。
なんたって、歯並びが、めちゃくちゃ変だ。
髪型がハーポ・マルクスに似ているのも好きだ。
「ノーセンス」の、やっつん新聞と、つっこまれ屋は、
オンエアバトルの同じものより、面白いぞ。
911のテロって、もう6年も前なんだね。
「爆笑問題の日本原論」シリーズは大好きで、
「爆笑問題の日本原論3 世界激動編」も、超おもろいが、
911のネタの回だけは、6年たった今でも、笑えない。
それは、911を漫才のネタにするのが、
"今でも"不謹慎だからじゃなくて、"当時は"不謹慎だったからで、
それを笑いにしちゃいけないという空気を、
太田光でさえ、はねのけきれなかったからだと思う。
笑いにしちゃいけないものなんか本来ならないのにね。
「爆笑問題の日本原論」シリーズは、
そんな時代の空気も刻印されてるから、面白いんだろうけど。
-データ-
「爆笑問題の日本原論3 世界激動編」 幻冬舎文庫 ¥495
舞台美術の坂口が、
「メルティング・ポイント」展とICCを見に行けって、うるさいんだよ。
行ってみて思ったのが、これは、俺への不満だね。
要するに、そこにあるのは、高さを使った空間の見せ方なわけ。
坂口は、こういうのが、やりたいんだって、すぐわかった。
なにせ、小劇場には高さがない。
x軸とy軸だけでz軸がないんだよ。二次元演劇。

写真は、ICCキッズ・プログラム2007の展示から。
でかい影は、俺ね。
子供はいいよね。
ほんとは、でかい影が小さい影を踏み潰してる写真撮りたかったんだけど、
さすがに、もう大人な自分を感じてやめた。
でも、男の子たちがやってたんだよね。
友達の影を、自分のでかい影で踏み潰すの。
これがいいんだ。残虐なんだけど、無邪気で。ポップで。
インタラクティブな展示を趣旨とは違う使い方してて。
ケラさんが褒めていた、バナナマンの「宮沢さんとメシ」をやっと見た。
宮沢さんって宮沢りえのことね。
設楽が宮沢りえとメシを食べることになって、日村を誘うってだけなんだけど、
このコントは、面白かった。
バナナマン。
関係性と距離感の笑い。
テレビだと面白くないバナナマン。
イロモネアとかも、よく出てるけど、面白くないもんな。
でも、「宮沢さんとメシ」は面白いっす。
小島よしおを見ていると、
テレビは、面白い素人が出ているメディアなのだと、改めて思う。
面白い素人を画面を通して見るのが、テレビの一番のいい見方というか。
あくまで、面白い素人で、面白いプロではないのがミソだ。
欽ちゃんの、24時間テレビ・マラソンランナーも、
かつて面白かったプロ(つまり、今は面白くなくなってしまったプロ)が、
面白い素人になるためにやった芸、とも言える。
時代は繰り返す。
誰も気づかないが、小島よしおは、
ダンス甲子園でテレビに登場した、
"面白い素人"だった山本太郎の芸風にそっくりだ。
僕は、山本太郎は好きだが、小島よしおは嫌いだ。
なぜだろう?
宮沢章夫さんの本を読んでいたら、欽ちゃんについて書かれた箇所を発見。
萩本欽一がいかにして、関わるテレビ番組をヒットさせたか、
萩本システムなる造語を使って、簡潔に書いている。
テレビというメディアの本質を見抜いていた最初の人とも書いている。
そんな彼が、24時間テレビの企画で、
走っている自分の姿をさらすというオファーを、
どういう意図をもって、承諾したのかに興味がある。
単に、過去、司会者だったからだけなのか?
そこで、原点に戻って考えてみる。
24時間テレビのマラソンランナーにふさわしい人は誰か?
24時間テレビのマラソンランナーが、
現役のマラソンランナーなら、これほどつまらない企画はない。
だって、走れて、当たり前だものね。
走れなさそうな人を走らせるのが面白い。
走りの素人を、走らせて、24時間、監視する。
なんと、電波少年的なんだろう。
老人に無理させといて、「欽ちゃん、大丈夫?」
すごいシステムだ。
残念ながら、24時間テレビを見るのを忘れたため、
この、ある枠の中に、素人を放り込み、みんなで見るシステムが、
テレビ的に未だに有効なのか、チェックできなかった。
この夏の心残りである。
いわゆる"流行ってる映画"群を分析すると、
小ネタで面白くしてるものがとても多いなあと思う。
90分なり、120分なり、飽きずに見れるけれども、
大きな時間軸で、心を揺さぶるというものが少ない。
これは、テレビ局の資本参加の影響がでかいと思う。
とにかく、チャンネルを変えさせないノウハウがきっちり注入されている。
そういう意味では、大きく損をした気はしない。
大きな時間軸をもった映画、
120分の時間軸の中で、目から鱗的に物の見え方が変わる映画を、
僕は見たいと思うが、
エンターテインメントでありつつ、そういう映画というのは、
作るのが難しいのだろうなあ。
お盆なので一日だけ実家に帰る。
母親は留守で、父親だけがいた。
昼飯を一緒に食うことになり、
ちょっと遠いが鎌倉街道にあるラーメン屋に行くことにする。
ここの味噌ラーメンは美味しいのだ。
驚いた。
味が変わっていない。
昔よく行ったラーメン屋だった。
ただし、店主は代替わりしていて、
僕がよく行っていた頃の店主の娘婿が今の店主だそうだ。
東京だから、育った街に、ふるさと感はないし、
街の景色はバンバン変わっていってる。
でも、変わらないものもあるみたいだ。
友人から、「3年後、2010年度まで」に○○するというメールが来た。
○○の内容は明かせないが、
何かをする目標を立てるのに、3年というのは、区切りのいい時間だ。
3年後、
自分や、周り、社会や、世界、どう変わっているんだろう?
劇団印象-indian elephant-は?
こんなことを書いてるのは、
1年前と比べて、予定の立て方が変わったからだ。
1年前は半年後のことしか考えられなかったが、
今は、1年後のことを考えるようになった。
でも、まだ、3年後を具体的にイメージするのは難しい。
グレゴリー・コルベールの撮った風景や人間は、
アフリカやアジアのどこかのものなんだろうけど、
歪んだ物の見方をしてしまう僕には、
ヨーロッパが見出してあげたエスニックな国々、というように見えた。
写真はきれいなんだけどね。
人間との意図的な絡みがないディープ・ブルーのほうが、好きだな。
あと、ロレックスが、写真展のスポンサーをしているのが面白い。

一人芝居について調べていたら、
YouTubeで「日本一のセンズリ男」の映像を見つけました。
僕が大好きな吹越満さんの明るいタブー・パフォーマンスです。
すごい下ネタですが、
彼はこういうことばっかやってるわけじゃなくて、
あくまで彼の一部分であります。
下ネタは、好き嫌いがあるので、
ゾーニングの問題はありますが、
こういうタブーを面白くやっちゃうところに、
芸人の芸人たる所以がある気がします。
しかも、テンポとか、ディテイルとか、ものすごくレベルは高いですから。
でも、「日本一のセンズリ男」が面白いと感じられるのは、
人前でコトをしちゃいけないという羞恥心で包まれた、
カッコ付き、「健全な社会」があるからで、やっぱり、
パブリックな空間における恥じらいっつーものは大切にしたいですよね。
「恥」のない社会では、
喜劇というものは存在できないんじゃないかと思います。
新宿2丁目のとあるクラブから、
イベントで何かやらないか?というお話が来て、
下見も兼ねて、イベントを見に行きました。
写真は、ファイアーベリーダンスという出し物。
超セクシーな演者は、多分、女性。
でも、2丁目だからな、、、騙されてる?

ここで劇団印象は何ができるでしょう?
使えるスペースは、そこそこ広いので、
コントとかならできそうですが、
やっぱり、お酒飲みながら見るんだから、
笑えるのがいいですな。
このクラブ、タイニイアリスから30秒の距離なんですよ。
だから、イベントに参加して、ここのフリーのお客さんとか、
本公演に来てもらえたら最高ですよね。
よし、いっちょ頑張るぞ。
先週、「恋のから騒ぎ」を見てたら、さんまさんが、
石原真理子に暴露された自分をネタに、
「過去のある女にだって未来はあるよ、暴露本とか」
って笑いをとっていて、
なんかそこに、明石家さんまという芸人の凄みを見る思いがした。
自分を嗤う。徹底的に。
笑い者にされるって言葉があるように、
大体、自分が笑われる側になるのは、
どんな人だって、いい気はしない。
特に、昔の情事を暴露って、野暮もいいとこ。
でも、さんまさんは、ほんとに楽しそうにやっちゃってるんだよね、
人を笑わすために、自分をネタに、自分を嗤うってことを。
下ネタで申し訳ないんだけど、
先日、
ある劇団の主宰者から電話がかかってきて、
「もしもし、今、何してます?
オナニー以外だったらおしえてください」
と開口一番フラれ、僕は面白い返しができなかった。
そのフリも、どうかと思うけど、
今から考えるに、
「オナニー以外だったらおしえてください」
というのは、逆に、下ネタで返してもいいよ、
というその人なりの優しさであったのかもしれず、
「いや、ちょうどこすり終わったところなんだ」
ぐらいの返しでもよかったのかもしれない。
ちょっとでも、自分を嗤う気概があれば、
つまらない返しはしないですんだ。
僕は芸人ではないけれど、
さんまさんと同じ芸事にたずさわる者として、自分を恥じる。
みんな、次からどんどん、無茶フリしてくれ!
盟友のイラストレーターのカレンダーが、
今年は、去年以上にいい出来です。
カレンダーをめくるたびに、物語がめぐるんだよ、ほんとに。
紹介するのは、表紙だけにするんで、
中身は手に取ってご覧あれ。
僕は、3月のインドを舞台にした絵が好きです。
インドの少女が仮面をつけてるんだけど、
表情が見えないからこそ、どんな顔をしてるんだろうと、
想像力をかきたてられる、そこが好きです。
彼女とは、印象の全公演の宣伝美術をやってもらっていて、
付き合いも長いですが、絶えず、新しい画材を研究していて、
アクリルだけじゃなく、和紙に描いたり、墨を使ったり、
そういう技術的な部分に対する、絶え間ない研鑽には頭が下がります。
すごいライバルです。

役者の何人かを誘って、ZESTで飲み!
日曜夜は、ロデオタイムがあるので、ZESTは大盛り上がり。
写真は、ロデオマシーンに挑戦中の慎吾であります。
このロデオタイムというのを、役者に見せたかった。
一週間の内、日曜夜の30分しかやらないイベントで、
一般のお客さんの中から十人ぐらい、ロデオマシーンに挑戦するんだけど、
その盛り上がりは、芝居に通じるものがある。
というのは、お客さんのノリが、
いろんなシチュエーションで左右されるから。
ギャラリーに外国人が多いとよかったり、
ミニスカートの女の子が挑戦すると異常に盛り上がったり、
日によって、全然熱気が違って、
ライブの空気の勉強に、すっごくなるんだよね。
知人に頼んで頼んで、三宅裕司さんを紹介してもらいました。
今、本公演「ナンバダワールドダンシング」の本番中で、
芝居の後、楽屋に連れてってもらったのです。
緊張しました。
まあ、今回のことで顔を覚えてもらえたとは思わないけど、
次に仕事場で会えたら、今回のこともムダではないはず。
もしかしたら、「愛撃」にも来てくれるかもしれないし。
それにしても、終演直後の汗びっしょりの状態でも、
楽屋できちんとご贔屓に挨拶をする姿を見ると、
プロだなあと思いました。
当たり前のことなんです。
見てくれる人あってのお芝居ですから。
でも、当たり前を当たり前になかなかできないですから。
僕も見習おうと。
ちょっと前に友人に言われた言葉は、
胸にドキッときました。
ある文章で否定的なことを書いても、
「良い意味で」、と一言つけるだけで、
フォローしたり、された気になってしまう。
言葉を職業にしようとしている人が、
そういう言葉を使用するのは安易だ、と。
たしかに、
「良い意味で」には、有無を言わせない力があります。
例1.あいつは金正日みたいな奴だ。良い意味で。
例2.彼女は娼婦みたいだった。良い意味で。
例3.彼は、良い意味で、腐った性格をしていた。
「良い意味で」をつければ、
良い意味に表現を変えた気になれるし、
何言っても、許される気がします。
そのことの安易さは、なんと悪いことなんでしょう。
「良い意味で」を使っちゃいけないってことじゃないんです。
オルタナティブを持った上で、
あえて、その表現を使っているのか、ということなんです。
これは、作品表現全般に言えることなので、
もう一度、肝に銘じておきたいと思います。
役者の華ってなんだろう?とよく考えます。
稽古して、演出をつけてとか、やってると、
技術的にうまくて、しっかりしてるけど、
見てても面白くない人って多くて、
そんな人よりも、こいつ下手だけどなんかいい、
ずっと見ていたい、そう思わせる役者が好きです。
もちろん、
華があって、技術的にもしっかりしてる人が、
プロになっていくんだろうけど。
そんなことを、最近、うちに遊びに来た、
幼馴染みの玉田くんに話したら、
「華は、どれくらい見られてることを意識するかで、
ついてくるんじゃないか?」と言っていた。
その玉田くんから、今日、メールをもらった。
玉田君がダンスをやっていた頃、
華のあった先輩にこんなアドバイスをもらったと。
「壁の向こうの宇宙の向こうの星を見て踊れ!」
アドバイスとしては、
全然、参考にならないと思うんだけど、
その先輩、とっても華がありそうだよね。
免許の更新のハガキが実家に届いたと弟からメールが来ました。
免許か、、、とため息もつきたくなります。
考えてみれば、もう、1年と3ヶ月くらい、
自動車を運転していませんし、
その1年と3ヶ月前に運転する前は、
さらに、9ヶ月、自動車を運転していません。
つまり、僕は、この2年間で2回しか運転していない。
きっかりと数えられます。
これは、車を持っていないからという理由だけではないんです。
僕は、何よりも、車を運転することが嫌いで、ことあるごとに、
運転をしなければいけない機会を避けてきました。
そして、僕にとっての運転免許証は、
パスポートを持っていないがゆえに、
唯一の公的な本人確認書類であるという以上の意味を持ちません。
僕も最初から、こんなだったわけではないんです。
ただ、運転する度に、緊張で手がふるえたり、
そうすると、交通法規を守ることが面倒臭くなったり、
(なんでそこまでして、赤信号で止まらなきゃいけないのか?)
何より、運転しながら、物事を考えてると、
運転そのものがどうでもよくなるという、
あまりにも、社会性から逸脱した、
自分の性格上の欠陥に気づいたので、
人を殺さない内に、運転というものを放棄することにしました。
そこだけ聞くと、
ちょっと危ない人ですが、車にさえ乗らなければ、
自分のそういう人間としての欠陥は表に出ないので、
安心して下さい。
とにかく、なんとなく、より自由に、より瞬間的に、
思いついて、0.5秒後に、
寄り道や道草ができない、車という移動装置は、
日頃、思いついたら、とりあえず、やってから考える、
落ち着きのない僕の性格に合わないのです。
そして、僕はよくタクシーの運転手とケンカするのも、
このためなのかもしれません。
それに、
歩きながら、本は読めるけれど、
運転しながら本は読めない。
運転はとても、時間がもったいない行為ではないでしょうか?
といいつつも、
友達に車で送ってもらったりするのは、とても好きなんですが。
こういう、非運転人間、不運転人間は、
やはり、少数派なのでしょうか?
もし、僕も私もっていう人がいらっしゃいましたら、
友達になってください。
出張帰りの友人との夕食の席で、
「ローマ人の物語」の話が出た。
塩野七生・著の文庫で、23巻も出ている、
古代ローマについての歴史エッセイであるが、
僕は、読んだことがなかった。
別に、馬鹿にされたわけではないのに、
とても、恥ずかしく、
あらゆる時間を使って、今、読んでいる。
その前に、はまっていたのが、
小林信彦の本で、
「おかしな男 渥美清」
「テレビの黄金時代」
どちらも、時代を代表するメディアが、
映画からテレビに遷り変わる時代(1960年代)の
日本コメディアン史で、ここ一ヶ月、
ミクロにしろマクロにしろ歴史を読んでいるというわけだ。
こういう歴史系の読書の後に思うのは、
人間は戦争が好きだという、
ありきたりだが、本質的な"事実"だ。
僕らは戦争をするのがたまらなく好きで、
そして、また、不謹慎ではあるが、
同じく、戦争を俯瞰して見るのも、たまらなく好きなのだ。
これは、人間の精神の逃げようのない"事実"だ。
でも、、、
「ローマ人の物語」は、序盤が面白くないと友人から聞いていた。
ハンニバルというローマのライバル国の武将が出てくる、
「ハンニバル戦記」から面白くなってくると言うのだ。
僕には、序盤から面白かった。ところが、やはり、
ハンニバルが出てきて、ローマが徹底的にやられ、
さらに、それを巻き返していく場面に入ると、
もう、どうにもならない面白さだった。
人間は、ただ戦争が好きなわけではなく、
好敵手とあいまみえる中で、自分が成長していく、
そういう戦争こそが、本当に人を魅了するのだという、
"事実"の奥にもうちょっと別の顔があった。
勝ち続ける戦争には、何の魅力もないのかもしれない。
というわけで、「ローマ人の物語」を読む日が続く。
(まだ、23分の5に過ぎないのに!)
道に迷うということは、素敵なことだと、ちょっと思った。
子供の頃の迷子の自分を思い出す。
慣れてしまえば、大して広くないどこかの街、どこかの道でも、
道に迷っている間は、世界がとてつもなく広く感じる。
でも、自分の進むべき道に迷うとか、精神的に迷子になると、
世界はすごく狭く感じる。
心の壁が、視野を遮り、世界を狭くする。
人生は選択の積み重ねだから、
自分の進路、進むべき道に迷いが生じることもある。
でも、内向きに迷子になるよりも、
外向きに迷子になるほうが、
世界って楽しめちゃうんだよなあ。
もう4月ですね。桜が満開です。
WBC=野球のワールドカップ?盛り上がりましたね。
テレビのコメンテーターが、あれは、
「大人たちの甲子園だ!」なんて言ってましたけど、
僕は、この盛り上がり方は、
甲子園というよりも"忠臣蔵"だなあって、思いました。
今回のWBCが野球ファンだけでなく、
世間的に盛り上がったのは、
なんといっても、アメリカ戦での誤審があってからです。
2次リーグの米国戦の視聴率 11.6%
なのに、
準決勝の韓国戦の視聴率 36.2%
結晶のキューバ戦の視聴率 43.4%
(2次リーグの韓国戦、メキシコ戦の視聴率は不明)
デービッドソン球審と、それに象徴されるアメリカが、
吉良上野介ってわけなのです。
無念の浅野内匠頭(アメリカ戦の勝利)を失った、
大石内蔵助(イチロー)率いる赤穂浪士は見事、
他力本願ながらも(メキシコがアメリカを破ってくれて)
アメリカ開催のWBCで、アメリカの代わりに優勝するという、
"仇討ち"を成し遂げたのです。
特に、イチローのキャラクターの豹変ぶりがすごい。
日本のプロ野球を捨てて、アメリカで成功した個人主義の男が、
日本のプロ野球なんかどうでもいいと思ったかのように見えた男が、
再び、日本のためにバットを振る、というキャラクター。
こりゃあ、大石内蔵助が、世間の目を欺くために、
酒に女に溺れて、祖国の仇討ちを忘れているかのように思わせたのと、
そっくりです。
日本人は、とりわけ僕は、
不正義をフェアプレーで、正当に仇討ちする、
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ、この構造に弱いので、
つい、やられてしまいました。
さて、今年は、プロ野球人気のさらなる凋落を心配してましたが、
これだけWBCの盛り上がったんですから、
サッカーのワールドカップが開催される6月も、
ペナントレースの視聴率は、多分、高視聴率まちがいないです!
この興奮が、あとたった3ヶ月、もたないはずないですもんね。

