2013年11月07日
 ■  いざ、タイ・バンコクへ!

11/8から11/12まで、タイのバンコクに行ってきます。
タイのBTF(バンコク・シアター・フェスティバル)
というのを見に行ってきます。
タイの演劇人との国際共同制作の下準備をしにいくという感じです。

新しいことをすることが、常にいいとは限らない。

でも、新しいことをしないと、見えないものがあったり、
成長できない自分がいたりするわけです。

もちろん、結果がついてきたら、なおいいのだけど。
でも、最も大事なのは過程・プロセスだと思うのです。

どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか?
結果が最重要なら、全ての人生は犬死です。
そうじゃないでしょ?死ぬまで何をし続けるかでしょ?

最終的に、自分が成功しているかどうかは重要ではなくて、
いかに試行錯誤したか、
いかに苦労を買ってでもしたか、
いかに挑戦したのか、
そういうことが重要だと思うのです。

というわけで、言葉通じないけど、
タイの演劇人たちとコミュニケーションして来ます!

2013年03月19日
 ■  演出家の孤独

「青鬼」が終わってから、
あっという間に10日が経ってしまった。
そして、「青鬼」の写真を見ながら、「青鬼」を振り返ると、
記念写真にまたしても、僕だけがいない。
海霧の時だってそうだったのだ。やれやれ。
演出家って、、、孤独?

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青鬼の出演者の記念写真、、、僕だけがいない。。。

次の公演も孤独に負けず、頑張ります。

2013年01月05日
 ■  グローバル・ベイビー・ファクトリーをリライト中

今、「グローバル・ベイビー・ファクトリー」をリライトしている。
Now, I'm rewriting the "Global Baby Factory".

去年の審査会やその後の懇親会で、
先輩劇作家から言われた言葉が蘇る。
中でも坂手さんの言葉が一番何度もリフレインしてくる。

I remember the word that Mr Yoji Sakate said to me last year.

「なんでインドなの?
 代理出産を受け入れている国は東南アジアにだってある。
 今のままでは、インドを選んだ作家的な意図が見えないよ」

"Why did you choose India? There are many countries which accept surrogate birth, for example, Southeast Asia. I can't see why you chose India. The intention as a writer cannot be seen."

僕がインドを選んだのは、インドが最も代理出産が盛んだからだが、
確かに、それでは、作家としての意図が弱いのは否めない。

I chose India because India is the country in which surrogate birth is performed most. But my intention as a writer is weak.

別の機会に、坂手さんに聞いた。
I asked Mr. Sakate at another opportunity.

「なんで沖縄を描くんですか?」
"Why do you write about Okinawa?"

坂手さんは延々と語り始めた。
日本とアメリカの政治的な矛盾が象徴的に表れているのが沖縄だ、
という公的な視点や、プライベートな理由などなど、
何よりその語り口が、とても熱かった。
涙目で語っているように見える瞬間さえあった。

He began to tell for a long time.
"It is Okinawa that political inconsistency of Japan and the United States appears symbolically. "
He told me in the official view and the private view.
His tone was very hot.

なぜ、インドなのか?
その答えは、僕の中にしか、自分の中にしか無いんだ。

Why did I choose India?
There is the answer only in my heart.

2013年01月02日
 ■  2013年、明けましておめでとうございます!

2013年、明けましておめでとうございます。
A Happy New Year 2013!

正確な日時は覚えてないんですが、
十年前2003年のお正月ぐらいから、僕は、演劇を始めました。
たしかその時の元旦は、
「鴉姫(からすひめ)」という処女戯曲を書いていたと思います。
ホームレスが赤ちゃんを拾って育てるというお話でした。

I started the activity of play in the New Year ten years ago. My first play's title was "the Crow Princess". It was a story that a homeless-man picked up a baby and brought up her.

今年の元旦は、1/2にタイに帰ってしまうトゥアさんと飲んでいました。
In the New Year this year, I was drinking with Tua.

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トゥアさんの知り合いで、
Kop(コップ)さんという女優さんも一緒にいたのですが、
彼女から、「ヨヨミ」という、
代々木公園在住のホームレスの同人誌をもらいました。
ホームレスたちが詩や小説やエッセイを綴ったものです。
コップさんは、代々木公園の元旦の炊き出しに参加していたみたいなのです。

Then, I met an actress "Kop" who was Tua's friend and She gave me a magazine that it was written and made by homeless people at the Yoyogi park.

新年早々、胸が痛くなりました。熱くなりました。
I was impressed by the magazine.

演劇には、直接的な社会問題の解決はできません。
演劇に何ができるのだろう?なんて問いは幼稚だと思います。
胸が痛くなり、熱くなったのは、
コミュニティーを作ったり、守ったりする活動に憧れを感じているだけで、
偽善的な思考です。だって、
僕自身は、アーティストとして、弱肉強食の世界を生きているつもりだし、
観客にいい作品を届けるには、経済の世界と同じく、
いわゆる競争原理は必要だと思っているからです。

The theater cannot solve a social problem directly. What can the theater do? I think that this question is very childish. I 'm alive in a world where the weak are victims of the strong.

でも、僕は、社会と無関係なところで、演劇は作りたくないし、
年間の自殺者が3万人を超える社会はおかしいと思うし、
コップさんの姿を美しいと思ってしまったのです。

But I don't want to create a play in a place unrelated to society. I think that a society where an annual suicide exceeds 30,000 people is wrong.

明晰に書けません。言いたいことが伝わってるでしょうか。
I can't write clearly.

「優しいだけじゃ生きてはいけない。でも優しくなければ生きる意味がない」
ってことを、人に優しくできない男が言ってるということかもしれない。

"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive." I'm not gentle, but I say that.

さて、どうやって生きていけばいいんでしょうか。
優しく、強く、生きる方法を模索したい。

Now, how should I do? I would like to be gentle and to be strong.

皆様、今年もよろしくお願い致します。

2011年12月31日
 ■  大晦日にTPPについて考える

Follow me on twitter! http://twitter.com/@Atsuto_Suzuki

大晦日にやるべきことかどうかはわからないが、
TPPについて調べてる。TPPって何?

そもそもアルファベットがわかりにくい。
Trans-Pacific Strategic Economic Partnership
=環太平洋戦略的経済連携協定。
わかりにくいが、TPPの3文字よりはわかる。

要は、環太平洋地域(太平洋を囲む形で存在している国々)で
自由貿易の原則を徹底して、
関税等々を撤廃しようとしている協定、らしい。

なんとなく、工業(外需産業)に従事している人は賛成し、
農業(内需産業)に従事している人は反対している構図がある気がする。
日本経済は、(少なくとも金額の面では)輸出企業が牽引しているから、
政府は、TPPに進めようとしている、というのが現状のようだ。

しかし、自由貿易=市場原理に全てを委ねてしまっていいのか?
効率だけを追求していった場合に、壊れてしまうものがあるのではないか?
では、その壊れてしまうものとは、何なのだろうか?
それを考えてみる。

非合理な農業行政によって、
高い食品を買わされている弱者=消費者という図式があるとして、
その非合理な農業行政を守っている関税障壁を撤廃し、
自由な市場によって、
弱者(=消費者)を不利益から開放する、というロジックはわかる。
でも、弱者(=消費者)保護と環境(≒共同体)保護が矛盾する場合、
手段の吟味が必要なのではないか?

TPPは、
既得権益であるかもしれない農協(僕は農協については詳しくない)
をやっつけてくれるかもしれないが、それと付随して、
日本の農村共同体をも一緒にやっつけられてしまうかもしれない。
つまり、悪い農協・悪い農家と、良い農家・普通の農家を区別なく、
根こそぎ倒してしまい、
農業を軸とした日本の共同体を壊してはしまわないだろうか?

日本の農業政策には確かに問題があるとして、
だから、必ずTPPなのか?別の手段はないのか?
そこを考えなきゃいけないのではないか。

2011年12月14日
 ■  「トゥールーズ=ロートレック」展

そんなにロートレックに興味はなかった
(あまり知らないから)んだけど、
タダ券をもらったので、ロートレック展に行ってきた。

ロートレックが芝居好きの人だったらしく、
女優の絵をたくさん描いてて面白かった。
なかでも、ロイ・フラーLoie Fullerをモデルにしててビックリ。
川上音二郎と貞奴のパリ万博での公演を後押ししたのが彼女なのだ。

彼女は、ダンサーだけど、
舞台照明というものをいち早くダンスに取り入れたことで有名で、
貞奴の演技がヨーロッパで評判を取ったのも、
ロイ・フラーの照明があったからこそらしい。
ロートレックが描いたロイ・フラーも七色の照明に光る姿なのだ。

他に、ロートレックは、
フットライト気味の光に照らされた女優の絵を何枚も残しており、
19世紀末、舞台芸術に照明という技術が入ってきたことが、
いかに、"事件"だったのかが想像できる。

というわけで、あまり絵画史を気にしないで、
演劇史的視点で、ロートレック展を見て来たのだ。

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ロートレックが描いたロイ・フラー

2011年03月20日
 ■  「祈る」という行為は何なのか?

「祈る」という行為は何なのか?
震災に遭遇して、多くの方の祈る様子や祈る言葉を見ながら、
僕は考える。

今、
「あなたには信じる神がいますか?特定の宗教を信仰してますか?」
と聞いても、 ほとんどの日本人がNoと答えるだろう。

でも、「震災が起こってから1回でも祈りましたか?」と問えば、
多くの人がYesと答える。
その時、僕らは、何に向かって、祈っているのだろうか?

できないことがたくさんあって。
どうしようもないことがたくさんあって。
だから祈りたくなる。

人間の心の中には、神というはっきりとした形ではないにしろ、
人智を超えた対象に、傷ついた魂の回復を求めようとする機能がある。
のかもしれない。

2010年01月19日
 ■  静岡、軽で高速は・・・

週末に静岡のSPACに行ってきました。
三島さんの出てる、「ロビンソンとクルーソー」を観て来たわけで。
http://www.spac.or.jp/09_winter/robicru.html
軽で高速は結構疲れるね。

ついでに行った舞台芸術公園はすごくよくて、
Twitterで坂口氏におすすめしておく。
http://www.spac.or.jp/theatre_park.html
中には劇場が三つぐらいあるんだけど、劇場よりも庭園が素晴らしかった。
舞台芸術公園のリンク先には、あまりいい写真がないけど、
富士山がきれいだったし、歩いてて気持ちがよかった。

大事な出会いもたくさんあり、なんとかいい形で作品につなげたい。

2009年12月31日
 ■  帰国と年越し

数日前ですが、韓国から帰ってきました。
韓国、むっちゃ楽しかったです。
体験記途中になってますが、
まとめて、しかるべき場所に発表しようと思ってます。

そして、
2009年お世話になりました。
2010年もよろしくお願いします。

2009年11月20日
 ■  2010年デナリカレンダー

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もう11月、もうすぐ12月。
誰もが100万回思ってると思うけど、
100万回生きたねこだろうけど、
1年が早っ!

猫つながりで、今年も舞のカレンダー。

でも、なんと今年は猫は一匹もいなくて、
大野舞が犬を描くことに挑戦してる、
画期的なカレンダーです。

僕は彼女の描く画が大好きです!
親友だからではなく、
アーティストとして嫉妬させてくれるから。

2010年デナリカレンダー、詳細はこちら!
http://www.denali331.com/calendar2010.html

2009年07月25日
 ■  「春琴」の感動と、谷崎潤一郎の「細雪」

今年の3月に見た「春琴」の再演の感動が忘れられない。
初演の「春琴」も素晴らしいものだったが、
再演は細かいところが練り創り直されていて、
さらに洗練した印象を持った。
そして、谷崎潤一郎のテキストが素晴らしかったのは言うまでもない。

しかし、谷崎の代表作は、「春琴抄」ではないらしい。

「細雪」は"ささめゆき"と読む。
僕はこの小説を一昨日から読み始めたのだが、
読む前までは"ほそゆき"と読んでいた。
表紙を開いた最初のページの題字のところに"ささめゆき"というルビ。
ああ、恥ずかしい。

「細雪」ではこれといった大きな事件が起こらない。
にもかかわらず、この読み心地はなんだ?
というぐらいおもしろい。とてつもなくおもしろい。

1940年頃の神戸の上流階級の娘のお見合い話が軸で、
特に、反戦を謳った箇所など一つもないのに、
1943年に軍部から雑誌掲載を止められている。
なぜ軍部はこの小説が嫌だったのか?
反戦のハの字もない代わりに、戦争のセの字もないからだ。
まるで戦争というものがこの世に存在しないかのように、
平穏に時間が流れている。そのゆったりとした小説内時間が、
軍部は許せなかったに違いない。
その意味で、掲載禁止をした軍人は、小説が読める人だったのだろう(笑)

穂坂さんによると
サイモンがなぜ谷崎に興味をもったのかといえば、彼は第一次、第二次と、
二つの世界大戦の間に作品を残したヨーロッパの作家に関心があり、
その頃極東にいながら、西洋の作家と同じような視点を持っていた、
谷崎に興味をもったということらしい。

二つの大戦の間、日本では関東大震災(1923年)があり、
その震災をきっかけにして、谷崎は関西に移り住む。
西洋崇拝者者を自称していた東京時代とはうってかわって、
日本の伝統文化と向き合った。
「春琴抄」や「陰翳礼讃」はそれ以降の作品にあたる。

阪神大震災が村上春樹に「神の子どもたちはみな踊る」を書かした、
という類似点を考えてみても、さらにおもしろい。

関連エントリー:
「エレファント・バニッシュ」「春琴」のプロデューサー
サイモン・マクバーニーの「春琴」
サイモン・マクバーニーの「エレファント・バニッシュ」

2009年06月30日
 ■  文楽・二つの三位一体の凄さ

6/21(日)

従兄弟の結婚式のために神戸に行ったついでに、
大阪の国立文楽劇場で文楽を見てきた。
文楽=人形浄瑠璃!
実は人生初文楽だったのだが、その凄さに衝撃を受けた。

文楽は、
太夫(ナレーター)、三味線(音楽)、人形遣い(役者)の、
「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演劇なんだけど、
そのうちの人形遣いも、首と右手、左手、脚と、
役割の違う三人で人形を操作する、
世界でも特殊な形態の人形劇なのだ。

二つの三位一体が組み合わさった、
この表現方法は今見ても新しい。
盗むところがいっぱいある。

できるだけたくさんの人に紹介したいが、
どういう風に伝えれば一番いいのだろう?

2009年06月03日
 ■  からだめあて2 自分の死体と共同体

この春僕は事情があって、自分の健康保険証を新しくする手続きをした。
新しい保険証はすぐに手元に届いた。
驚いた。裏面が大きく変わっていたから。
臓器提供の意思確認欄が付け加えられていたのだ。
臓器移植に対する、意思表示の強制?
それを見た瞬間、

自分の死体は自分の物じゃなくなる?

なんとなくそう思った。
じゃあ、誰の物になるのだろう?

一つは家族の物になるという考え方。
ほとんどの人が生前頼んだわけでもないのに、
仏教式の葬式で送られ、荼毘に付される。
具体的に進めるのは家族だ。

もう一つがみんな(=共同体)の物になるという考え方。
簡単に言えば、臓器提供や解剖用の献体だ。
共同体とはよく言ったもので、
体を共に同じくするから共同体。
死んだら、誰かに体の一部を渡す、臓器提供する、
その誰かと自分が所属しているのが共同体だ。
(共同体をこのように定義するのは僕が勝手にしてることなので悪しからず)

実は、今、日本人の臓器移植が問題になっている。
国内での臓器提供が年に10件もないため、
ほとんどの日本人臓器提供希望者は外国に行って手術するのだが、
それに対して、特に発展途上国で手術を行う場合、
金で臓器を買っていることになっていないか、という問題だ。
それに、お金の問題は別にしても、
どこの国でも臓器は余っているわけではないから、
誰かにあげれば別の誰かを助けられないということが起こる。
よその国に行って、その国の人の誰かが助かるチャンスを奪って、
悪く言えば、日本人だけが助かってる。
これはいいことなのか?

でも、僕はまだ保険証の裏面に何も記入できていない。
自分の死体をどうするか、決心がついていないのだ。

2009年05月03日
 ■  趣味で文章を発表したいと思っている方へ

この5月に杉並区で新しい公共劇場「座・高円寺」がオープンした。
そこで、「劇評を書くセミナー」というのがあるので、
興味がある人は是非応募してほしい。

僕は、このセミナーのスタッフではないんだけど、
主宰の北嶋孝さんから、劇評の執筆を頼まれたことがあり、
それが縁で、何度か「劇評を書くセミナー」には参加している。

お芝居で食えてる人が少ないのだから、
その演劇の批評文自体、なかなかお金にならないが、
もし、趣味で自分の文章を発表したいと思っている方は、
参加してみるのはどうだろうか?

古臭い言い方だけど、
優れた演劇は僕らの生活を映す鏡になっていると僕は思う。
まだ言葉になっていない、今生きる中で抱える、不安や絶望、
もしくは、笑いや喜びを、演劇というものは掬いあげなければならない。
でも、ある演劇が、
そういったまだ言葉になっていない何かをちゃんと掬いあげていたのか、
作り手はそれを知る術がない。
だから、批評が必要なのだ。
僕らの生活を映す鏡である演劇、それを映すもう一つの鏡が。
それが劇評だ。

金銭的な見返りはないかもしれないが、
「劇評を書くセミナー」はきっと面白いと思う。
是非、その重くない扉を叩いてみてください。

劇評を書くセミナー「座・高円寺」留学コース
http://www.wonderlands.jp/info/seminar09the.kohenji1.html

2009年05月02日
 ■  横浜SAACアワード「佳作賞」受賞

横浜SAACが開催する年間授賞式(横浜SAAC アワード)にて、
第11回公演「青鬼」が「佳作賞」を受賞しました。

saac-mini.jpg

そのことをどこかで知った友達の彼女がわざわざメールくれました。

そうなのです。
賞っていうやつは、
友達の彼女が、わざわざメールくれる効果があるんです。

多分、もっと大きな賞獲ったら、
友達とその彼女が、
「厚人が頑張ってるから、俺達も結婚しよっか」
ってなるんです。

というわけで、友達とその彼女の結婚は、
僕の頑張りにかかってるということが判明した、
横浜SAACアワード「佳作賞」受賞でした。

2009年04月18日
 ■  からだめあて1 片桐はいりの演劇的からだ

生田萬さんとお会いしました。
生田さんは、片桐はいりさんの劇団の主宰で、
いわば、女優・片桐はいりを発掘した人です。
(生田萬さんがどんな人か知りたい方はコチラを)
で、その片桐はいりさんの女優デビューはタイニイアリス。

19歳のはいりさんは、自分を隠そう隠そうと生きてきた。
だって、あのインパクトだから。
それで、舞台上の彼女も自分を消そう消そうという演技をする。
でも、それでも目立ってしまう。
その消そうとして消しきれないってことそのものが、
とても演劇的だった。そんな話を生田さんから聞いたのです。

演劇的なからだがある。
そういうことなのか!

舞台の片桐はいりを見たことがある人は、
直感的にこのことがわかると思いますが、
彼女が、舞台にただいるだけでおもしろいというのは、
演劇的なからだを持っているからだ!

ちなみに、裏はとってませんが、
Wikipediaによると、彼女の身長は172cm。
そんなにでかくないんですよね。
やっぱり顔のインパクトなのかな。

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最近、からだについて思うことが多々あるので、
「からだめあて」シリーズと称して、ブログにまとめていきたいと思います。

2009年03月20日
 ■  再演とは何だろう?演出とは何だろう?

第11回公演「青鬼」、無事初日を迎えることができました。
早速、ブログにレビューをアップしてくださった方がいたので、
ご紹介します。

因幡屋ぶろぐ
http://inabaya-k.mo-blog.jp/inabayakmoblogjp/2009/03/post_964a.html

> 今回の再演は、大幅な書き替え、改訂版と括ってしまうのはもったいなく、
> ほとんど新作と言ってもよいのではないか。

実は、台詞は初演とそんなに変わっていないのです。
もちろん、若干付け足したシーンはありますが、基本的には変わってない。

じゃあ、何が変わったかというと、演出が変わったのです。
今回は、演出家として、既製の台本に挑むように、
自分の台本に挑みました。
今回の演出が、作品の印象をガラッと変えてしまったのだと思います。

言葉にはできないものをお客さんに見せ聞かせるのが演出家の仕事です。
多くの方が、言葉にはできないものを「青鬼」から感じ取ってもらえたら・・・。
まだまだお席に余裕がございます。
みなさま、ご来場お待ちしております!

2008年12月27日
 ■  鬼が笑い死にする

2009年が始まってもいないのに、
2010年のスケジュールについて考え始めなければいけない時期に来た。
鬼が笑う、どころではない。鬼が笑い死にする。
というのも、演劇の劇場をブッキングするには、
大抵1年前に応募しなきゃいけないのだ。
ちなみに、2009年の劇場は、ほぼほぼ取ってある。
3月に相鉄本多劇場、10月に吉祥寺シアターだ。
で、2010年。予定を決めていく。

予定を決めていく、ということは、未来を殺すことだ。
つまり、鬼が笑う、鬼が笑い死にする、
という時の「鬼」は未来のことですね。

未来ってのは、次どうなるか、何もわからないことに面白さがある。
未来を人生に置き換えてもいい。
予定どおりの人生なんて、全然面白くないじゃないか。
実際、予定どおりなんてならないわけだし。

しかし、社会というのは、僕らに秩序を要求する。
予定どおりにいかない部分はないことにして、
人生を設計できるよう僕らを改造してしまう。
こうして、人生設計に長けた現代人として、社会を生きる。
でも、人生設計は人生をつまらなくする。

人生がつまらなくなった僕らは、
未来(=予定どおりにいかない部分)を別に求める。
その中のある人たちは、現世が予定でがんじがらめになっているので、
死後の世界に未来を求める。
死後の世界に、生き甲斐を求める。なんと、倒錯的なんだろう。
だから、オカルトだったりが一定の支持層を集めるんだろうね。

というわけで、鬼に笑われない生き方がしたいです。
なかなか思いどおりにはいかないけど。(ん?それでいいのか)

2008年05月05日
 ■  金沢21世紀美術館 「ロン・ミュエック」展

ronmueck.jpg

5月2日。午前。
私用で金沢を訪ねたついでに、21世紀美術館に行ってきた。
なかでも、おすすめは「ロン・ミュエック」展である。

ロン・ミュエックは、オーストラリア人で、
人間の精緻な模型?人形?を作る芸術家なんだけど、
何がすごいって、あんた、でかいんだよ。作品が。

俺が一番好きだった作品が、「In Bed」っていうやつだったんだけど、
シーツにくるまってベッドに座ってる女が、座ってるだけで2mぐらいある。
全長だと5,6mか?実際に自分の目で見ると、でっかいぞー。

5,6mある女の肌が、透けて見える青い血管まで細かく再現されてる。
髪の毛や体毛も、馬の毛を一本一本植えていったそうで、
ハイパーリアルなんだ。

リアルで、でかいってだけで、
グロテスクに見える。グロテスクに感じてしまう。
でも、見てしまう。見入ってしまう。
人間が心底見たいのは、人間自身なんだって思い知らされるね。

2008年04月21日
 ■  白石さんとメシ

バナナマンのコントに「宮沢さんとメシ」という名作がある。
で、去年の終わり頃、誘ってくれる人があって、
俺は宮沢りえじゃないけど、白石加代子と飯を食った。

白石加代子って、女優と書いて、バケモノと読む、そんな大女優。
暇な人は、梶芽衣子の「女囚さそり 第41雑居房」
というちょいエロい昔の映画を見てね。あの印象が強かったから、
どんなバケモノなのかなと思ってたら、

超ー、綺麗なのだ!
ああ、女優ってすげえ。
これがホンマモノ・本魔物の女優のオーラか、
腰が抜けたね。ついでに目も落っこちるぐらいだった。
色が白くて、声が低くて、その声も、
「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」の公演中だったから、
嗄れてた。あの声の出し方だからね。そりゃ嗄れるんだ。

で、よく笑う。
これがかわいい笑顔でさ。ご飯もすごく美味しそうに食べるんだ。
その笑顔がね、かわいいんだけど、ブラックホールなの。
吸い込んでるんだよね。人生の小さな幸せを。
かき集めて、ためて、舞台で爆発させるんだろうね。

ブラックホールだから、隣りに座ってると、
吸収されるの。呑まれるの。
女優はブラックホールだね。
これは、俺の周りの女優さんたちにも、真似してもらいたい。
掃除機レベルじゃダメなんだよ。
ブラックホールで、吸い込みまくってほしいね。

客席がガラガラの劇場では芝居をしたくない。
だから、出来るパブリシティはなんでもやる。
そんなことも言ってた。こっちも真似してもらいたい。

2008年04月19日
 ■  瞬間と全体の舞台照明・舞台写真

4月11日。午後。
もうすぐロンドンに行ってしまう賢治から、
「空白」の舞台写真を受け取る。
舞台の照明は、写真を撮るには暗すぎることが多いのだが、
それでも、賢治の写真はよく撮れていた。腕が上がってる。
色温度の説明を俺にしてくる様に、
賢治の成長を見た。時間の堆積を思う。

舞台照明について、また、舞台写真についても話す。
照明や写真の魅力は、
まず第一に切り取られた一瞬の美しさ。
写真一枚での美しさである。

果たしてそうだろうか?
というのが、時間芸術である演劇の照明であり、
写真集の面白さである。

切り取られた一瞬の美しさを、どういう構成で見せていくか。
Aの写真(照明)の、次のBの写真(照明)の間には、
どういう差があるべきか。
必ずしも、美しい写真(照明)だけが同じように並ぶものが、
全体として見て美しいとは限らない。

2007年11月17日
 ■  "僕らの"作品

劇団印象-indian elephant-第9回公演「青鬼」
にご来場いただいたみなさん、
本当にありがとうございました。

今回もたくさん、スタッフ、役者とケンカしました。
殴り合いはありませんでしが、
ああ、やばいなってぐらいの口論はしました。
結局、それは、作品が"僕らの"作品になるための、
通過儀礼だったのかなと今となって思います。

お客さんはそう思わない。いや、お客さんもそう思う。
お客さんはそう感じない。いや、お客さんもそう感じる。
そんなことを言い合っていました。

結局、演劇は作・演出の一人の作品ではなく、
お客さんも含めた、スタッフ、役者の、
"僕らの"作品なんだと思います。
"僕の"作品ではなく、"僕らの"作品である以上、
誰かが、物言いを遠慮するような現場であってはならない。

それを踏まえて、作・演出の僕が、
何を妥協しちゃいけないのか?
やり続ける以上、付き合っていかなきゃいけない大問題です。

一人でも多くの観客のみなさんに、
"僕らの"作品と呼んでもらえるように、
また、頑張ります。

2007年09月26日
 ■  沢尻エリカの宣伝作法

慎吾がカットされてなければ出ている、
英美が90%ぐらい出ている、
映画「クローズド・ノート」(監督:行定勲)が、9/29(土)に公開だ。
テレビでも、沢尻エリカが、宣伝のために、「スマスマ」に出てたり、
「おかげでした」に出てたりしてる。

この間の、「おかげでした」の食わず嫌い王の、
エリカ女王はすごかった。
まず、化粧がすごかったし、
映画に対してのコメントが、
「まぁ、スタンダードなラブストーリーです」
「すごい特別なメッセージがあるわけでもない」
とか、宣伝になってない。むしろ、逆宣伝になってるのに、

あの痛快さはなんだろう。

2007年09月15日
 ■  エレキコミックのやっつん

エレキコミックの谷井さんは、天才だと思う。
なんたって、歯並びが、めちゃくちゃ変だ。
髪型がハーポ・マルクスに似ているのも好きだ。

「ノーセンス」の、やっつん新聞と、つっこまれ屋は、
オンエアバトルの同じものより、面白いぞ。

2007年09月14日
 ■  爆笑問題の日本原論3について

911のテロって、もう6年も前なんだね。
「爆笑問題の日本原論」シリーズは大好きで、
「爆笑問題の日本原論3 世界激動編」も、超おもろいが、
911のネタの回だけは、6年たった今でも、笑えない。

それは、911を漫才のネタにするのが、
"今でも"不謹慎だからじゃなくて、"当時は"不謹慎だったからで、
それを笑いにしちゃいけないという空気を、
太田光でさえ、はねのけきれなかったからだと思う。
笑いにしちゃいけないものなんか本来ならないのにね。

「爆笑問題の日本原論」シリーズは、
そんな時代の空気も刻印されてるから、面白いんだろうけど。

-データ-
「爆笑問題の日本原論3 世界激動編」 幻冬舎文庫 ¥495

2007年08月31日
 ■  高さを使って演出する

舞台美術の坂口が、
「メルティング・ポイント」展とICCを見に行けって、うるさいんだよ。
行ってみて思ったのが、これは、俺への不満だね。
要するに、そこにあるのは、高さを使った空間の見せ方なわけ。
坂口は、こういうのが、やりたいんだって、すぐわかった。
なにせ、小劇場には高さがない。
x軸とy軸だけでz軸がないんだよ。二次元演劇。

kodomo070831.jpg

写真は、ICCキッズ・プログラム2007の展示から。
でかい影は、俺ね。

子供はいいよね。
ほんとは、でかい影が小さい影を踏み潰してる写真撮りたかったんだけど、
さすがに、もう大人な自分を感じてやめた。
でも、男の子たちがやってたんだよね。
友達の影を、自分のでかい影で踏み潰すの。
これがいいんだ。残虐なんだけど、無邪気で。ポップで。
インタラクティブな展示を趣旨とは違う使い方してて。

2007年08月30日
 ■  宮沢さんとメシ

ケラさんが褒めていた、バナナマンの「宮沢さんとメシ」をやっと見た。
宮沢さんって宮沢りえのことね。
設楽が宮沢りえとメシを食べることになって、日村を誘うってだけなんだけど、
このコントは、面白かった。

バナナマン。
関係性と距離感の笑い。

テレビだと面白くないバナナマン。
イロモネアとかも、よく出てるけど、面白くないもんな。
でも、「宮沢さんとメシ」は面白いっす。

2007年08月29日
 ■  オッパッピーという素人

小島よしおを見ていると、
テレビは、面白い素人が出ているメディアなのだと、改めて思う。
面白い素人を画面を通して見るのが、テレビの一番のいい見方というか。
あくまで、面白い素人で、面白いプロではないのがミソだ。

欽ちゃんの、24時間テレビ・マラソンランナーも、
かつて面白かったプロ(つまり、今は面白くなくなってしまったプロ)が、
面白い素人になるためにやった芸、とも言える。

時代は繰り返す。
誰も気づかないが、小島よしおは、
ダンス甲子園でテレビに登場した、
"面白い素人"だった山本太郎の芸風にそっくりだ。

僕は、山本太郎は好きだが、小島よしおは嫌いだ。
なぜだろう?

2007年08月23日
 ■  欽ちゃんについて

宮沢章夫さんの本を読んでいたら、欽ちゃんについて書かれた箇所を発見。
萩本欽一がいかにして、関わるテレビ番組をヒットさせたか、
萩本システムなる造語を使って、簡潔に書いている。
テレビというメディアの本質を見抜いていた最初の人とも書いている。

そんな彼が、24時間テレビの企画で、
走っている自分の姿をさらすというオファーを、
どういう意図をもって、承諾したのかに興味がある。
単に、過去、司会者だったからだけなのか?

そこで、原点に戻って考えてみる。
24時間テレビのマラソンランナーにふさわしい人は誰か?
24時間テレビのマラソンランナーが、
現役のマラソンランナーなら、これほどつまらない企画はない。
だって、走れて、当たり前だものね。

走れなさそうな人を走らせるのが面白い。
走りの素人を、走らせて、24時間、監視する。
なんと、電波少年的なんだろう。
老人に無理させといて、「欽ちゃん、大丈夫?」
すごいシステムだ。

残念ながら、24時間テレビを見るのを忘れたため、
この、ある枠の中に、素人を放り込み、みんなで見るシステムが、
テレビ的に未だに有効なのか、チェックできなかった。
この夏の心残りである。

2007年08月19日
 ■  大きな時間軸をもった映画

いわゆる"流行ってる映画"群を分析すると、
小ネタで面白くしてるものがとても多いなあと思う。
90分なり、120分なり、飽きずに見れるけれども、
大きな時間軸で、心を揺さぶるというものが少ない。

これは、テレビ局の資本参加の影響がでかいと思う。
とにかく、チャンネルを変えさせないノウハウがきっちり注入されている。
そういう意味では、大きく損をした気はしない。

大きな時間軸をもった映画、
120分の時間軸の中で、目から鱗的に物の見え方が変わる映画を、
僕は見たいと思うが、
エンターテインメントでありつつ、そういう映画というのは、
作るのが難しいのだろうなあ。

2007年08月14日
 ■  変わらないものもある

お盆なので一日だけ実家に帰る。
母親は留守で、父親だけがいた。
昼飯を一緒に食うことになり、
ちょっと遠いが鎌倉街道にあるラーメン屋に行くことにする。
ここの味噌ラーメンは美味しいのだ。

驚いた。

味が変わっていない。
昔よく行ったラーメン屋だった。
ただし、店主は代替わりしていて、
僕がよく行っていた頃の店主の娘婿が今の店主だそうだ。

東京だから、育った街に、ふるさと感はないし、
街の景色はバンバン変わっていってる。
でも、変わらないものもあるみたいだ。

2007年07月27日
 ■  3年後、2010年度まで

友人から、「3年後、2010年度まで」に○○するというメールが来た。
○○の内容は明かせないが、
何かをする目標を立てるのに、3年というのは、区切りのいい時間だ。

3年後、
自分や、周り、社会や、世界、どう変わっているんだろう?
劇団印象-indian elephant-は?

こんなことを書いてるのは、
1年前と比べて、予定の立て方が変わったからだ。
1年前は半年後のことしか考えられなかったが、
今は、1年後のことを考えるようになった。
でも、まだ、3年後を具体的にイメージするのは難しい。

2007年06月16日
 ■  コルベールを見た者はインドゾウの夢を見るか?

グレゴリー・コルベールの撮った風景や人間は、
アフリカやアジアのどこかのものなんだろうけど、
歪んだ物の見方をしてしまう僕には、
ヨーロッパが見出してあげたエスニックな国々、というように見えた。
写真はきれいなんだけどね。
人間との意図的な絡みがないディープ・ブルーのほうが、好きだな。
あと、ロレックスが、写真展のスポンサーをしているのが面白い。

colbert070616.jpg

2007年03月05日
 ■  吹越満の明るいタブー・パフォーマンス

一人芝居について調べていたら、
YouTubeで「日本一のセンズリ男」の映像を見つけました。
僕が大好きな吹越満さんの明るいタブー・パフォーマンスです。
すごい下ネタですが、
彼はこういうことばっかやってるわけじゃなくて、
あくまで彼の一部分であります。

下ネタは、好き嫌いがあるので、
ゾーニングの問題はありますが、
こういうタブーを面白くやっちゃうところに、
芸人の芸人たる所以がある気がします。
しかも、テンポとか、ディテイルとか、ものすごくレベルは高いですから。

でも、「日本一のセンズリ男」が面白いと感じられるのは、
人前でコトをしちゃいけないという羞恥心で包まれた、
カッコ付き、「健全な社会」があるからで、やっぱり、
パブリックな空間における恥じらいっつーものは大切にしたいですよね。
「恥」のない社会では、
喜劇というものは存在できないんじゃないかと思います。

2007年01月13日
 ■  新宿2丁目で"芸"について考える

新宿2丁目のとあるクラブから、
イベントで何かやらないか?というお話が来て、
下見も兼ねて、イベントを見に行きました。
写真は、ファイアーベリーダンスという出し物。
超セクシーな演者は、多分、女性。
でも、2丁目だからな、、、騙されてる?

dance070113.jpg

ここで劇団印象は何ができるでしょう?
使えるスペースは、そこそこ広いので、
コントとかならできそうですが、
やっぱり、お酒飲みながら見るんだから、
笑えるのがいいですな。

このクラブ、タイニイアリスから30秒の距離なんですよ。
だから、イベントに参加して、ここのフリーのお客さんとか、
本公演に来てもらえたら最高ですよね。
よし、いっちょ頑張るぞ。

2006年12月28日
 ■  自分を嗤う -明石家さんまの凄み-

先週、「恋のから騒ぎ」を見てたら、さんまさんが、
石原真理子に暴露された自分をネタに、

「過去のある女にだって未来はあるよ、暴露本とか」

って笑いをとっていて、
なんかそこに、明石家さんまという芸人の凄みを見る思いがした。

自分を嗤う。徹底的に。

笑い者にされるって言葉があるように、
大体、自分が笑われる側になるのは、
どんな人だって、いい気はしない。
特に、昔の情事を暴露って、野暮もいいとこ。

でも、さんまさんは、ほんとに楽しそうにやっちゃってるんだよね、
人を笑わすために、自分をネタに、自分を嗤うってことを。

下ネタで申し訳ないんだけど、

先日、
ある劇団の主宰者から電話がかかってきて、
「もしもし、今、何してます?
オナニー以外だったらおしえてください」
と開口一番フラれ、僕は面白い返しができなかった。

そのフリも、どうかと思うけど、

今から考えるに、
「オナニー以外だったらおしえてください」
というのは、逆に、下ネタで返してもいいよ、
というその人なりの優しさであったのかもしれず、
「いや、ちょうどこすり終わったところなんだ」
ぐらいの返しでもよかったのかもしれない。

ちょっとでも、自分を嗤う気概があれば、
つまらない返しはしないですんだ。

僕は芸人ではないけれど、
さんまさんと同じ芸事にたずさわる者として、自分を恥じる。
みんな、次からどんどん、無茶フリしてくれ!

2006年12月25日
 ■  「デナリの地球一周カレンダー2007」がいいぞ!

盟友のイラストレーターのカレンダーが、
今年は、去年以上にいい出来です。
カレンダーをめくるたびに、物語がめぐるんだよ、ほんとに。

リンクと表紙の紹介
hyoushi.jpg

紹介するのは、表紙だけにするんで、
中身は手に取ってご覧あれ。

僕は、3月のインドを舞台にした絵が好きです。
インドの少女が仮面をつけてるんだけど、
表情が見えないからこそ、どんな顔をしてるんだろうと、
想像力をかきたてられる、そこが好きです。

彼女とは、印象の全公演の宣伝美術をやってもらっていて、
付き合いも長いですが、絶えず、新しい画材を研究していて、
アクリルだけじゃなく、和紙に描いたり、墨を使ったり、
そういう技術的な部分に対する、絶え間ない研鑽には頭が下がります。
すごいライバルです。

2006年12月18日
 ■  ロデオタイムから学べること

rodeo.jpg

役者の何人かを誘って、ZESTで飲み!
日曜夜は、ロデオタイムがあるので、ZESTは大盛り上がり。
写真は、ロデオマシーンに挑戦中の慎吾であります。

このロデオタイムというのを、役者に見せたかった。
一週間の内、日曜夜の30分しかやらないイベントで、
一般のお客さんの中から十人ぐらい、ロデオマシーンに挑戦するんだけど、
その盛り上がりは、芝居に通じるものがある。

というのは、お客さんのノリが、
いろんなシチュエーションで左右されるから。
ギャラリーに外国人が多いとよかったり、
ミニスカートの女の子が挑戦すると異常に盛り上がったり、

日によって、全然熱気が違って、
ライブの空気の勉強に、すっごくなるんだよね。

2006年10月23日
 ■  三宅裕司さんの楽屋

知人に頼んで頼んで、三宅裕司さんを紹介してもらいました。
今、本公演「ナンバダワールドダンシング」の本番中で、
芝居の後、楽屋に連れてってもらったのです。

緊張しました。

まあ、今回のことで顔を覚えてもらえたとは思わないけど、
次に仕事場で会えたら、今回のこともムダではないはず。
もしかしたら、「愛撃」にも来てくれるかもしれないし。

それにしても、終演直後の汗びっしょりの状態でも、
楽屋できちんとご贔屓に挨拶をする姿を見ると、
プロだなあと思いました。
当たり前のことなんです。
見てくれる人あってのお芝居ですから。
でも、当たり前を当たり前になかなかできないですから。

僕も見習おうと。

2006年09月04日
 ■  良い意味で・悪い意味で

ちょっと前に友人に言われた言葉は、
胸にドキッときました。

ある文章で否定的なことを書いても、
「良い意味で」、と一言つけるだけで、
フォローしたり、された気になってしまう。

言葉を職業にしようとしている人が、
そういう言葉を使用するのは安易だ、と。

たしかに、
「良い意味で」には、有無を言わせない力があります。


例1.あいつは金正日みたいな奴だ。良い意味で。

例2.彼女は娼婦みたいだった。良い意味で。

例3.彼は、良い意味で、腐った性格をしていた。


「良い意味で」をつければ、
良い意味に表現を変えた気になれるし、
何言っても、許される気がします。
そのことの安易さは、なんと悪いことなんでしょう。

「良い意味で」を使っちゃいけないってことじゃないんです。
オルタナティブを持った上で、
あえて、その表現を使っているのか、ということなんです。
これは、作品表現全般に言えることなので、
もう一度、肝に銘じておきたいと思います。

2006年08月23日
 ■  宇宙の向こうの星を見て踊れ!

役者の華ってなんだろう?とよく考えます。
稽古して、演出をつけてとか、やってると、
技術的にうまくて、しっかりしてるけど、
見てても面白くない人って多くて、
そんな人よりも、こいつ下手だけどなんかいい、
ずっと見ていたい、そう思わせる役者が好きです。

もちろん、
華があって、技術的にもしっかりしてる人が、
プロになっていくんだろうけど。

そんなことを、最近、うちに遊びに来た、
幼馴染みの玉田くんに話したら、
「華は、どれくらい見られてることを意識するかで、
 ついてくるんじゃないか?」と言っていた。

その玉田くんから、今日、メールをもらった。
玉田君がダンスをやっていた頃、
華のあった先輩にこんなアドバイスをもらったと。

「壁の向こうの宇宙の向こうの星を見て踊れ!」

アドバイスとしては、
全然、参考にならないと思うんだけど、
その先輩、とっても華がありそうだよね。

2006年04月24日
 ■  車の運転を一生しないという生き方

免許の更新のハガキが実家に届いたと弟からメールが来ました。
免許か、、、とため息もつきたくなります。
考えてみれば、もう、1年と3ヶ月くらい、
自動車を運転していませんし、
その1年と3ヶ月前に運転する前は、
さらに、9ヶ月、自動車を運転していません。
つまり、僕は、この2年間で2回しか運転していない。
きっかりと数えられます。
これは、車を持っていないからという理由だけではないんです。

僕は、何よりも、車を運転することが嫌いで、ことあるごとに、
運転をしなければいけない機会を避けてきました。
そして、僕にとっての運転免許証は、
パスポートを持っていないがゆえに、
唯一の公的な本人確認書類であるという以上の意味を持ちません。

僕も最初から、こんなだったわけではないんです。
ただ、運転する度に、緊張で手がふるえたり、
そうすると、交通法規を守ることが面倒臭くなったり、
(なんでそこまでして、赤信号で止まらなきゃいけないのか?)
何より、運転しながら、物事を考えてると、
運転そのものがどうでもよくなるという、
あまりにも、社会性から逸脱した、
自分の性格上の欠陥に気づいたので、
人を殺さない内に、運転というものを放棄することにしました。

そこだけ聞くと、
ちょっと危ない人ですが、車にさえ乗らなければ、
自分のそういう人間としての欠陥は表に出ないので、
安心して下さい。

とにかく、なんとなく、より自由に、より瞬間的に、
思いついて、0.5秒後に、
寄り道や道草ができない、車という移動装置は、
日頃、思いついたら、とりあえず、やってから考える、
落ち着きのない僕の性格に合わないのです。
そして、僕はよくタクシーの運転手とケンカするのも、
このためなのかもしれません。

それに、
歩きながら、本は読めるけれど、
運転しながら本は読めない。
運転はとても、時間がもったいない行為ではないでしょうか?
といいつつも、
友達に車で送ってもらったりするのは、とても好きなんですが。
こういう、非運転人間、不運転人間は、
やはり、少数派なのでしょうか?
もし、僕も私もっていう人がいらっしゃいましたら、
友達になってください。

2006年04月19日
 ■  ローマ人の物語

出張帰りの友人との夕食の席で、
「ローマ人の物語」の話が出た。
塩野七生・著の文庫で、23巻も出ている、
古代ローマについての歴史エッセイであるが、
僕は、読んだことがなかった。
別に、馬鹿にされたわけではないのに、
とても、恥ずかしく、
あらゆる時間を使って、今、読んでいる。

その前に、はまっていたのが、
小林信彦の本で、
「おかしな男 渥美清」
「テレビの黄金時代」
どちらも、時代を代表するメディアが、
映画からテレビに遷り変わる時代(1960年代)の
日本コメディアン史で、ここ一ヶ月、
ミクロにしろマクロにしろ歴史を読んでいるというわけだ。

こういう歴史系の読書の後に思うのは、
人間は戦争が好きだという、
ありきたりだが、本質的な"事実"だ。
僕らは戦争をするのがたまらなく好きで、
そして、また、不謹慎ではあるが、
同じく、戦争を俯瞰して見るのも、たまらなく好きなのだ。
これは、人間の精神の逃げようのない"事実"だ。
でも、、、

「ローマ人の物語」は、序盤が面白くないと友人から聞いていた。
ハンニバルというローマのライバル国の武将が出てくる、
「ハンニバル戦記」から面白くなってくると言うのだ。
僕には、序盤から面白かった。ところが、やはり、
ハンニバルが出てきて、ローマが徹底的にやられ、
さらに、それを巻き返していく場面に入ると、
もう、どうにもならない面白さだった。

人間は、ただ戦争が好きなわけではなく、
好敵手とあいまみえる中で、自分が成長していく、
そういう戦争こそが、本当に人を魅了するのだという、
"事実"の奥にもうちょっと別の顔があった。
勝ち続ける戦争には、何の魅力もないのかもしれない。

というわけで、「ローマ人の物語」を読む日が続く。
(まだ、23分の5に過ぎないのに!)

2006年03月31日
 ■  亀田興毅について

人並みにミーハーな僕の耳に、
亀田三兄弟という人たちの名前がよく入ってくる。
最近知り合った人に、二人ほどボクサーがいるからだ。

彼らが薦めるので、最近の興毅の試合と、
大毅の試合を、一つずつ見たが、
なんとも言えない昂揚感を感じた。
これから世に出ようとしている若者の背中に、
観客たちが乗り遅れないように駆け込んでいる、
そんな勢いがあった。

知人のボクサー二人のプロとしての実力を僕は知らない。
ただ、僕には、自分が、格闘技などを志したことがないので、
その筋の、ボクシング内輪話がとても面白い。

その話の一つに、
亀田興毅が、まだ日本人と対戦したことがないのは、
おかしいのではないか?というのがあった。
戦績を見ると、たしかにタイ人との対戦が多い。
もしかすると、と話は続いた。

疑惑が真実か否かはどうでもいい。
この手のやっかみが聞こえてくるほど、
僕は亀田三兄弟というのを、どうにも見続けたくなる。
そういうものである。

2006年03月29日
 ■  内なる迷子と外なる迷子

道に迷うということは、素敵なことだと、ちょっと思った。

子供の頃の迷子の自分を思い出す。
慣れてしまえば、大して広くないどこかの街、どこかの道でも、
道に迷っている間は、世界がとてつもなく広く感じる。

でも、自分の進むべき道に迷うとか、精神的に迷子になると、
世界はすごく狭く感じる。
心の壁が、視野を遮り、世界を狭くする。

人生は選択の積み重ねだから、
自分の進路、進むべき道に迷いが生じることもある。
でも、内向きに迷子になるよりも、
外向きに迷子になるほうが、
世界って楽しめちゃうんだよなあ。

もう4月ですね。桜が満開です。

2006年03月27日
 ■  WBCの熱狂に、忠臣蔵的?劇構造を見る

WBC=野球のワールドカップ?盛り上がりましたね。
テレビのコメンテーターが、あれは、
「大人たちの甲子園だ!」なんて言ってましたけど、
僕は、この盛り上がり方は、
甲子園というよりも"忠臣蔵"だなあって、思いました。

今回のWBCが野球ファンだけでなく、
世間的に盛り上がったのは、
なんといっても、アメリカ戦での誤審があってからです。

2次リーグの米国戦の視聴率 11.6%

なのに、

準決勝の韓国戦の視聴率 36.2%
結晶のキューバ戦の視聴率 43.4%
(2次リーグの韓国戦、メキシコ戦の視聴率は不明)

デービッドソン球審と、それに象徴されるアメリカが、
吉良上野介ってわけなのです。
無念の浅野内匠頭(アメリカ戦の勝利)を失った、
大石内蔵助(イチロー)率いる赤穂浪士は見事、
他力本願ながらも(メキシコがアメリカを破ってくれて)
アメリカ開催のWBCで、アメリカの代わりに優勝するという、
"仇討ち"を成し遂げたのです。

特に、イチローのキャラクターの豹変ぶりがすごい。
日本のプロ野球を捨てて、アメリカで成功した個人主義の男が、
日本のプロ野球なんかどうでもいいと思ったかのように見えた男が、
再び、日本のためにバットを振る、というキャラクター。
こりゃあ、大石内蔵助が、世間の目を欺くために、
酒に女に溺れて、祖国の仇討ちを忘れているかのように思わせたのと、
そっくりです。

日本人は、とりわけ僕は、
不正義をフェアプレーで、正当に仇討ちする、
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ、この構造に弱いので、
つい、やられてしまいました。

さて、今年は、プロ野球人気のさらなる凋落を心配してましたが、
これだけWBCの盛り上がったんですから、
サッカーのワールドカップが開催される6月も、
ペナントレースの視聴率は、多分、高視聴率まちがいないです!
この興奮が、あとたった3ヶ月、もたないはずないですもんね。