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「卍(まんじ)」
谷崎潤一郎・著
昭和3年から5年に雑誌で発表された作品。
谷崎が、関東大震災を経て、関西に引っ越した後、
関西の女性を関西弁の音の響きを通して描こうとした作品と言われている。
そんなわけで、「のん」=助詞「の」に鼻音がついた言葉の響きとか、
言葉が可愛らしい。
でもね、
美しい女は強く、その強さで崇拝する者を支配する、というSM的要素が、
谷崎の作品の強固な構造だと思うんだが、
「光子」は強さの部分で、完璧でないところがあって、
だから、その美しさの描写にもひび割れがある気がしてしまう。
Mの登場人物、そして読者を支配しきれてない。
足フェチの要素、現実がいつの間にか幻想にすりかわる構造、病気の描写、
などなど、
晩年の傑作の中に、散見する手法がまだ出てきていないのにも注目すべき。
要は大作家でも変わっていくということか。
「少年」
谷崎潤一郎・著
明治44年だから、谷崎が25歳の時に書いた短編。
子供たちのSMがモチーフで、ちょっとグロくて、ついていきにくい。
痛み系のSMより、精神支配系のSMを描く、谷崎の方が好きだ。
タイニイアリス30周年記念企画、活動状況はこちら。
http://alice30.tinyalice.net/
早稲田の演劇博物館に行って、
「ピッコロシアターのあゆみ」を読んできました。
こちらの「OMSとその時代」とは違って、
思い出のインタービューはほとんどなく、
基本的には客観的データと写真で構成されていました。
本の構成は、
・ご挨拶
・30周年に寄せて関係者(知名度がある人)の一言
・10年間で受賞した賞
・自主事業のあゆみ
・施設の概要等
・催物日程表
です。この内、
・自主事業のあゆみ
・施設の概要等
は、さらに詳しく分かれていて、
・自主事業のあゆみ
1)鑑賞劇場(演劇の買い公演?)
2)室内楽サロン(音楽の買い公演?)
3)文化セミナー
4)実技教室(いわゆるワークショップ)
5)演劇学校
6)舞台技術学校
7)県立ピッコロ劇団
8)ピッコロフェスティバル
9)展示
施設の概要等
1)沿革
2)組織機構
3)施設の利用状況
4)資料室(蔵書)
5)研修等受入状況
となっていました。
思い出を語るという様式ではないので、
見た目は、やや寂しい感じがしましたが、
客観的なので、読んでいるといろいろ見えてくるものがありました。
たとえば、鑑賞劇場は、買い公演の年表ですが、
演劇の公演には、必ず1枚その公演の白黒写真が載ってました。
どんな芝居がやられてきたかが、
サーッとページをめくっていくだけで、頭に入ってきます。
(年表に載っていた情報は、年度、月日、団体と公演名、作、演出、出演者。)
また、演劇学校の応募、入学、修了の人数が、
毎年、きちんと報告されているので、
段々と応募者が減っていてる状況が見え、次の10年は学校は存続するのか、
など、考えさせられました。
やはり客観的というのは大事ですね。
※ピッコロ劇団に、俳優の空きがない、というのが不人気の理由みたいです。
買い公演と、付属劇団の公演、そして、全イベントの日程と、
一冊の中に年表が数種類あるし、
アリスの記念本のとても良い参考になる気がしました。
僕がお世話になっている劇場・タイニイアリスが、
2013年に30周年を迎えます。
今、30周年に向けて、記念本の出版を計画しています。
活動状況は、こちら。
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というわけで、いろいろな劇場の記念本を読んでいます。
「OMSとその時代―柱のある劇場 扇町ミュージアムスクエアの18年」
今日は、この本を読んだ感想をメモ。
大阪の小劇場、扇町ミュージアムスクエアの閉館を記念して、
出版された本で、
本の構成は、
1.巻頭グラビア
・カラーのチラシ(演劇と映画、それぞれ18枚ずつ)
・7回行われた劇場プロデュース公演の写真
2.インタビュー
・三つの時代に区切られた、演劇の作り手68人のインタビュー
・劇場にゆかりの新聞記者6人のインタビュー
3.巻末おまけ
・イラストの地図
・OMSの基礎知識(トリビア)
・年表(項目は、期間,団体名,タイトル,作・演出の名前)
内容の80%ぐらいが、2.の作り手68人のインタビューでした。
インタビューは、閉館を記念して作られた本だからか、
基本的には、OMSでの思い出を語るもので、
東京より大阪のほうが劇団同士が仲が良いなど、
演劇の地域性の違いも見えるような気がしました。
新聞記者のインタビューが、別の視点を獲得できていれば、
さらによかったと思うのですが、
こちらもOMSでの思い出を語るもので、
客観的にこの劇場がどう見られてきたのか、などは、
残念ながら、わかりませんでした。
その時期その時期の、劇場に対する客観的な評価というのは、
どうやって調べればいいのでしょうか?
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「少将滋幹の母」
谷崎潤一郎・著
同じ作家を続けて読んでいくと、
あるモチーフが繰り返し使われていることに気づかされる。
たとえば、「痴人の愛」のナオミという人物は、
「刺青」の女にその原型を見出せるし、
「少将滋幹の母」では、現実の愛する人よりも、
記憶が幻想と交じり合ったイメージのその人の方が
美しくまた尊いのだという「春琴抄」のテーマが繰り返されている。
頭では主役のように描かれ、
やがて物語に出てこなくなってしまう「平中」というキャラが
僕にはおもしろかった。
女好きで、
当時の女性たちを口説いていく様子が細かに描かれているのだが、
もてるのに、ところどころが三枚目で、
肝心なところで失敗するのがかわいらしい。
墨の水の涙のくだりや、
ラブレターの二文字の返事のエピソードなどが特に。
「盲目物語」
谷崎潤一郎・著
今年の大河ドラマの「江~姫たちの戦国~」と同じ時代設定で、
お市の方に仕えた盲目の按摩の視点で語られる。
美しい日本語の古典的文体は読んでいて気持ちいい。
が、目が見えない男が、絶世の美女に仕えるという設定、しかも
始終その美女のからだに触れていられる(按摩という)設定なのに、
谷崎特有の変態性がほとんど出てこないのが残念。
「盲目物語」の二年後に発表されたのが「春琴抄」だから、
下書き的作品なのかもしれない。
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「瘋癲老人日記」
谷崎潤一郎・著
時間を作って谷崎を読み漁る日々。
漢字とカタカナだけで綴られる文章の遊び性は、
句読点が極度に少ない「春琴抄」と似ている。
難しい漢字も多く、一々調べながらだと、時間がかかってしょうがない。
だが、段々慣れてくると、それが快感になってくる。
そして、最後でその結構が崩れる構成になっていて、見事の一言だ。
以上が様式的な話だとすると、
インポになった77歳の老人の性欲の話だという内容も、
とても「今」的だし、物凄い傑作だと思う。
「痴人の愛」
谷崎潤一郎・著
こちらは一人称で語られる告白調文体(ナレーション文体)。
妖婦に翻弄される男が、筒井康隆の登場人物のように、
徹底的に破滅していくので、笑えるのに、怖い。
特に男の読者は、身につまされるのではないか。
また、破滅によって、逆説的に救われるというのが、
谷崎潤一郎的だと思う。
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「永遠の0」
百田尚樹・著
「妻月」を観に来てくれたお客さんからもらって読んだ小説。
特攻隊として死んだ零戦パイロットの祖父を持つ青年が、
祖父の戦友たちに祖父がどんな人間だったのかを、
聞き取り調査しながら、祖父の本当の姿を知っていくというプロット。
零戦や特攻隊、太平洋戦争について、
時系列で知ることができる構成なので、
歴史の入門書としてもおもしろく読めた。
特攻隊の戦果確認を電信の打電(モールス信号)によって
特攻隊員自らがやらされていた、というエピソードは、
あまりにも悲惨で読むのが辛かった。
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「ワーニャおじさん」
アントン・チェーホフ著
小野理子・訳
チェーホフの四大戯曲の中で、唯一読んでいなかったもの。
でも一番好きかもしれない。一言で言えば、
主人公のワーニャがそれまでの47年間の人生を後悔する様子を、
その姪のソーニャの視点から眺めるという構成。
そのワーニャの後悔の長台詞に胸が打たれた。
読者や観客というのは、自分の過去の経験・体験を通して、
作品を見てしまう。自分の背景から逃れて作品は見られない。
ワーニャの後悔は、中年の男が持つ典型的な感情だから、
僕は感情移入してしまったけど、
女の人がこの作品を読んだら、全く別のことを感じるのかもしれない。
「結婚申込」
アントン・チェーホフ著
牧原純・福田善之の共訳と、松下裕の訳で。
20分ぐらいの短編を書く勉強のために、人に薦められて読んだ。
最初、読んだのは、牧原純・福田善之の共訳のほうで、
九州の方言で訳されたユニークな翻訳のものだったんだけど、
僕は全然おもしろいと思えなかった。
で、なんでこんなの薦めたんだろうと思ったりしたんだけど、
たまたま別の訳(松下裕・訳)を見つけて読んだら、
おもしろいと思えたし、薦めてくれた意図もよくわかった。
それに、翻訳について考えるきっかけにもなった。
結局のところ、言葉のリズム、
台詞から伝わるキャラクターの類型的な描写が、
方言訳だと僕には全然読み取れなかった。
戯曲の構造、筋の構成は、笑わせる劇として方言訳でも用意されている。
つまり翻訳しても消えないものだけど、
台詞のリズムは地域限定的に理解される性質のものなんだな。
そして、九州の方言で書かれた台詞も読めるよ。
読めるけどさ、、、僕は標準語でしか、
言葉の細かいニュアンスがわからない。そこが悲しい。
「チェーホフの戦争」
宮沢章夫・著
本を深く読む、とりわけ戯曲を深く読むという行為は、
なんと難しいのだろう。読む頻度を増やせば、
速く読むことはできるようにはなるが、それが何だと言うのだ。
著者がチェーホフの四大戯曲を深く読んで、
そこで発見したことを綴っているだけなのに、この本は、
読むという行為そのものへ著者の強い愛を感じられ、
そこに感動してしまった。もちろん、
チェーホフがどのように技法を戯曲に仕込んだのか、
ドラマツルギーとは何か、ということが
難しくない言葉で語られるのもありがたい。
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「女子寮記」
山田時子・著
敗戦直後の演劇に、新劇以外の流れがあったことを最近知った。
職場演劇とか自立演劇とか言うんだそうだけど、
今で言えば会社の演劇サークルみたいなもんで、
これがやる方も、見る方も、とても盛んだったそうだ。
素人のものと馬鹿にできない作品もたくさん出たらしい。
その職場演劇から出た素晴らしい戯曲がこれ。
何作か読んだだけだが、新劇の作品が、
人間の内面や精神的なことを、抽象的かつ象徴的に描こうとしたのに対し、
「女子寮記」はものすごく物理的なことを具体的に描いてる。
つまり、日々のお米がいくらで、月々の給料がいくらで、という、
生活のコマゴマとしたことそのものがテーマだ!という感じ。
物の値段がとにかくよく出てくるので資料価値も高い。
作者に特に意図はないと思うが、
終戦して2年しか経っていない昭和22年12月に、
もうクリスマスパーティーをやっていたということが
スケッチされているのも興味深い。
「『日本』をめぐって 網野善彦対談集」
網野善彦・著
歴史学会の専門用語が多くて難しかったけど、全体的にはおもしろかった。
SFCの教授の小熊英二が舌鋒鋭いのでファンは是非読んでください。
百姓は農民ではなかった、という主張は目から鱗。
江戸の知られざるネットワーク型社会は凄かったんだね。
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「その人を知らず」
三好十郎・著
唐十郎以降の劇作家については、なんとなくイメージを持てるのだが、
それより以前の作家については、全然知らない。
その中で三好十郎は、作品は読んだことがなかったが、
その高名が轟いていた。
この作品は、あるキリスト教の信者がその信仰のため
(汝、殺すなかれの教えを守るため)、
徴兵を拒否するエピソードを中心に、その男の周りの人々の群像劇。
場面転換が多いからか、集中がやや途切れ途切れになる感じがした。
正しいことを、一点の曇りなくやろうとする男のそばにいると、
周りの人間は悉く不幸になる。その様子は滑稽であり、悲しすぎる。
終戦を挟んで普通の日本人がどう普通に変容したかもわかる。
ただ全体的に重すぎ。
重たいのが悪いのではなく、重たい色、一辺倒なので単調なのだ。
「廃墟」
三好十郎・著
「その人を知らず」や「廃墟」の前半を読んだだけだと、
三好十郎というのは、論理的な作家だと勘違いしてしまう。
が、「廃墟」を最後まで読むと、
クライマックスの凄まじい長台詞の応酬・議論のぶつけ合いがあっても、
論理的には全く何も解決しない、なのに爽快な読後感。
長台詞に込められたその熱量は半端じゃない。
つまり全然論理の作家じゃない。
「廃墟」は、ワン・シュチュエーションなのもいい。
場が変わらないから、最後までエネルギーが溜まっていく
ドキドキ感がある。噴火もあるし。
前半では、お光というキャラクターがジャガイモを盗む描写が秀逸。
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「水木しげるのラバウル戦記」
水木しげる・著
ラバウルという地名は、ある年代以上の人にとっては
太平洋戦争時の南方の激戦の象徴的固有名詞のようだが、
僕らの世代にとっては全く馴染みのない単語だ。
でも、僕のお祖父ちゃんもこの地に出征していた。
この本は、
南方の激戦と日本兵がその時どういった生活をしていたか、
の資料にもなっているし、
水木しげるの妖怪創作のインスピレーションが
どこから来たのかを知ることができる。
その意味でとても面白い本。
妖怪という想像上の生き物であっても、
作者の背景・体験と密接に関わってるから、
妖怪のキャラにリアリティーがあるんだな。
僕は、前作で妖精を作品に出して、大変苦労した。
それは僕の中で、妖精という存在が、
自分の背景・体験とつながっていなかったから。
頭の中だけで作ってしまって、
記憶や身体と結び付けられなかったのだ。
次にもし想像上の生き物を出す時のヒントをもらえた気がした。
もう一つ。作中に従軍慰安婦についての記述が出てきたが、
従軍慰安婦というと、
朝鮮の人がさせられていたというイメージが僕の中にはあったが、
沖縄の人もさせられていたらしい。
本土の人の慰安婦はいなかったのだろうか?
知らないことがたくさんある。
「トペトロとの50年 ラバウル従軍後記」
水木しげる・著
ラバウル戦記の続編。
主に、復員後の生活と、
その後漫画家として成功した後に訪れるラバウルでの後日談。
敗戦後の女の人の服装が多数スケッチされていたのが、
資料としてありがたかった。
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「ナイチンゲールの沈黙」
海堂尊・著
「チーム・バチスタ~」の続編。
ちょっと、設定がぶっとびすぎてて、入り込めなかったし、
犯人もすぐわかっちゃったし(作者に隠す意図がなかった)、
なにより登場人物が多すぎでは?
「やりたいことがないヤツは社会起業家になれ」
山本繁・著
とある飲み会で、著者に会ったのがきっかけで読んだ。
友人の駒ちゃんと同業。そして、同じように頭の回転が速い感じがした。
世の中、社長になろうとする人は勤勉だ。
怠惰な自分が恥かしくなる。あああ。
「お稲荷様って、神様?仏様?」
支倉清/伊藤時彦・著
サブタイトルが「稲荷・地蔵・観音・不動/江戸東京の信心と神仏」。
日本人の信仰・宗教観について、調べたくて読んだ。
浅草寺が神仏のデパートだって知らなかったし、
神仏習合について、もっと知識を得たい。
日本人の信仰の主流は、現世利益を求める祈祷信仰であり、
制度としての檀家制度は葬式や先祖供養だけに限られる。
哲学的な教義や来世思想は
一人ひとりの信仰の内実にはほとんど浸透しなかったのではないか?
というようなことが書かれていた。
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「礼服」
秋元松代・著
1949年の戯曲。
お母さんのお葬式で、あふれ出てくるある一家のあれやこれや。
2場の礼服のシーンは、演劇的に立ってる。
他に、
・「婚期」
・「ことづけ」
「雲の涯」
田中千禾男・著
1948年の戯曲。近所のおっさんが、
軍隊時代に主人公いじめた上官だったり、そのいじめ方とかはおもしろい。
やった方は忘れてるが、やられた方にはトラウマになっている。
そういう関係性が平和になった町内に染み込んでいるのだ。
他に、
・「ぽーぶる・きくた」
次、書こうと思っている芝居の資料として、
戦後(1949年頃)の演劇の台本をバーっと読んでるんだけど、
5本ぐらい読んだ感想として、戦時中はともかくとして、
戦後は、すぐに餓死するといった食糧事情ではなかった、
という印象を持った。
これは、もしかしたら、
戦後すぐに演劇をやることができた人たちは、
割と裕福な人だったかもしれない可能性が一つ。
もしくは、日々の生活のことではなく、
もっと人の内面や、精神的なことを描こうとした可能性が一つ。
とにかく、戯曲から読める当時の生活は、
言葉遣いの違い以外は、演劇の題材として今とさほど変わらない。
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「母アンナと子連れ従軍記」
ベルトルト・ブレヒト著
帰国して最初に読んだのは、谷川道子・訳のこれだった。
ブレヒトの「肝っ玉おっ母とその子どもたち」の新訳だ。
恥ずかしながら、ブレヒトの戯曲はこれが初めてで、
だから過去の訳と比べてどうこう言えないけど、
この戯曲は相当おもしろかった。
主人公は戦争に食わせてもらっている従軍商人のシングルマザー。
「戦争なくして道徳心なし」「戦争が初めて秩序を作り出す」
など刺激的な台詞が満載。神父が
「平和は戦争の中にあり、戦争も平和だ」なんて言葉を吐くけど、
作家はどんな状況でこの戯曲を書いたのだろう?
この戯曲を読もうと思ったきっかけは、
密陽でこの芝居を見て、ストーリーがわからなかったからなんだけど、
演出的にいろいろ工夫があれば台詞がわからなくても、
もっと内容が見えたと思う。たとえば、
旧教軍と新教軍の軍服の色を赤と青とかはっきりと対比させるとか。
(密陽で見た芝居の)肝っ玉おっ母の職業も、わかりにくかった。
物を売っているのか?春を売っているのか?
娼婦だと演出的に明示したいなら、はっきり見せてほしかった。
従軍商人というものがなんとなくぼやけて見えた。
肝っ玉おっ母像は結構難しい。
叙情的に感情移入させては、
ただ単に戦争によって不幸にされた一人の女の話になってしまう。
彼女は、戦争の中でも、逞しく生きてきたし、これからも生きていく。
それこそが、
「平和は戦争の中にあり、戦争も平和だ」という言葉を、
アイロニカルに描く視点なのだと思う。
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「チーム・バチスタの栄光」
海道尊・著
読みやすいし、おもしろい!
エンタメ系のミステリをあまり読まないけど、
止まらなくなってしまった。
個人的には、お話と設定が広がっていく、
上巻のほうがより楽しめた。
白鳥のイメージは、仲村トオル(ドラマ)でも、
阿部寛(映画)でもなく、及川光博!
「授業」
ウージェーヌ・イヨネスコ著
2年前にこのホンを李潤澤(イ・ユンテク)が
演出した作品を見ていなければ、今、ここまで
韓国とのつながりを持とうとは思っていなかっただろう。
はっきりと意味が示された台詞ではないので、
戯曲を読んでも、あまり内容がよくわからない。
数学と言語学の、言葉の羅列。老教授と女生徒。
この台詞、この関係性を読んで、イ・ユンテク氏は、
あの演出(男性器のナイフで、裸にされた女生徒を刺し殺す。
または、マザコンや聖母マリアのイメージ表現)をしたのか
と思うと、その詩的直感力に頭を下げるしかない。
「青い風船」
フェルナンド・アラバール著
「アラバール戯曲集Ⅰ」より、いくつかの短編戯曲を読む。
・「戦場のピクニック」
・「祈り」
・「二人の死刑執行人」
・「青い風船」
有名な「戦場のピクニック」もおもしろかったのだけど、
僕は何より「青い風船」がおもしろいと思った。
「青い風船」は簡単に言うと、
ピアノを弾いてる男が殺される話。心魅かれたのは、
ピアニストの恋人のセックスを暗示させるシーンの挿入の仕方や、
何かを連想させる=しかしはっきりと何なのかは示されない、
青い風船の存在とか。
抽象的だが、演出次第ではすごくわかりやすくもできると思う。
解説に、アラバールにとっての「殺人」とは、
他人を所有するための最終手段だ、という言葉があった。
それは、この作家の作風をとても端的に表していると思った。
7/27(土)~8/2(火)まで、
韓国の密陽というところに、
「密陽夏の公演芸術祝祭」を見に行ってきました。
金世一さん、龍田知美さん、
そして、タイニイアリスの西村博子さんと一緒でした。
龍田さんは、現地で、李潤澤さんのワークショップを現在も受講中。
演劇というものが、「地域」にどのように浸透させられるのか。
国の状況が違うので、単純比較はできませんが、
日本とは全く違う演劇の姿が、そこにはありました。
また詳しく書いていきます。
とりあえず、無事、帰国しました。
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「夫が多すぎて」
ウィリアム・サマセット・モーム著
92年前に書かれた復員兵もので、三幕の喜劇いや笑劇。
今でも十二分におもしろい。特に、第一幕は笑える。
笑劇にありがちなのだが、笑わせようとしすぎて、
キャラクターよりギャグが重視されている。
そんな第二幕と第三幕は好きじゃない。
「復員者の噂」
井伏鱒二・著
短編エッセイ。敗戦後に、自分たちの故郷に帰ってきた兵士と、
それぞれの想いで迎え入れた家族のエピソードをまとめたもの。
多分、ノンフィクションではないだろうか。
日本人というのがいかに「恥」を感じる民族で、
「世間体」を気にする人々なんだなあと読んでいて思った。
「噂ばなし」
永井荷風・著
復員をテーマにした短いエッセイ。
井伏鱒二の同テーマのものより、面白く読めたのは、
最終的に女の身体論に落とし込めているからだ。
男女の肉体的な生生しさを、永井荷風に考察させたら、
それは面白くないはずがない。
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戯曲「神」
ウディ・アレン著
イマイチ、ピンと来なかった。演出で遊べるかなあ。
戯曲「死」
ウディ・アレン著
短編集「羽根むしられて」に収録された2本の戯曲の内、
この「死」は傑作だと思う。
主人公が映画でウディが演じるいつものキャラクターだし、
それが物語にうまくはまっている。
つまり、神経質な男が理不尽な死の恐怖にさらされて
右往左往する感じがとても面白い。
売春婦の使い方もうまい。
軽妙な男と女のやりとりを入れつつ、
その売春婦に何気なく哲学的なことを語らせる。
軽いものの中に、サッと重いものを入れる、その匙加減が絶妙。
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「三人姉妹」
アントン・チェーホフ著
これはガラスの動物園と同じで、追憶の劇という構造になっている。
今の観客にとっては110年前に書かれた戯曲だし。
4幕はおもしろいんだけど、
登場人物が多いのと名前がロシア名だから、
1幕2幕は誰が誰だかわかんなくなる。
冒頭からきっちり入るにはもう一回読まないとダメだ。
「ロボット」
カレル・チャペック著
ロボットという言葉はこの戯曲で生まれて世界中に広まった、
というだけあって、ロボットをテーマにした素晴らしい作品。
90年前の作品だが全く古びれてない。きっと手塚治虫も読んでる。
火の鳥のテーマにつながるところが多々あった。
それでも僕らはロボットを作ってしまうだろう。
「人形の家」
ヘンリク・イプセン著
近代劇は、人間の内面を描くようになったということで、
それ以前と分けられる、らしい。
ただこの作品は近代劇の金字塔だからというよりも、
女優が演じ甲斐があるから、今に残っている気がしてならない。
今は、人形の家でひきこもりたいのは、男だよね。
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「青い鳥」
モーリス・メーテルリンク著
いつだって幸福は悲しい形をしてるんだよね。
「下北沢 さまよう僕たちの街」
藤谷治・著
期待してなかったのに後半がちょっとおもしろかった。
「ガラスの動物園」
テネシー・ウィリアムズ著
読んだことがなかったのが、恥ずかしくなるくらい素晴らしい戯曲。
これは印象でやってみたいかも。
龍田さんがローラで、三島さんがアマンダで、って勝手に妄想。
テネシー・ウィリアムズは「欲望~」を若い時に読んで、
あんまりおもしろいという印象を持たなかったので、
ずっと避けていたんだけど、オジサンになった今読んだたら、
おもしろさを感じるのかもしれないなあ。
「悪童日記」
アゴタ・クリストフ著
てがみ座きっかけで、読む。
この作家にとっては外国語であるフランス語で書かれた小説。
だからか文体がかなり特徴的だ。
一般的な語彙力で、つまり、単純な文の積み重ねで、
なぜここまで、強固な世界観を作れてしまうのだろう。
削ぎ落とすこと、その強さ!!
「ビビを見た!」
大海赫・作と絵
2度読む。
「人間社会の暗黙の了解」の範囲外の価値観で描かれているので、
絵本であるにもかかわらず、1度目は恐れおののいてしまった。
2度目でやっとその寓意に手を伸ばすことができた。
作者のあとがきで、さらに奥深さを見知る。
それにしても恐ろしく美しい本だ。
「月と六ペンス」
ウィリアム・サマセット・モーム著
睡眠時間を削って読んでしまった。。。
主人公と偉大なる画家ストリックランドだけでなく、
あらゆる登場人物の描写が明晰で生々しい。
特に凡庸なるストルーブの造形が見事。
誰でも芸術を愛せる。けれどもほとんどの人間が芸術からは愛されない。
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「インドなんて二度と行くか!ボケ!!」
さくら剛・著
大野舞が貸してくれた。
ざーっと、流し読みしたが、おもしろかった!
あいつに薦められる本は大体おもしろい。
「刺繍」
「ペルセポリス」のマルジャン・サトラピ著
そこそこおもしろかった。
こっちはイランのイラストレーターが描いた漫画。
サブタイトルは~イラン女性が語る恋愛と結婚~。
イランの富裕層の恋愛ってこんな感じなのね。
「トムは真夜中の庭で」
フィリパ・ピアス著
小川洋子の「物語の役割」きっかけで読む。
読後感は、岩井俊二の「Love Letter」や
アニメ「時をかける少女」のそれに似ている。
つまり、時間をめぐる冒険。
僕はこういう児童文学が好きなんだなあ。
時間があれば英語でも読んでみたいぐらい、
美しい言葉がいっぱい出てくる。
ただ、僕の英語力だとそれこそ読み終えるまでに、
僕がおじいさんになってしまうくらいの時間が過ぎてしまうだろう。
「水滴」
目取真俊(めどるましゅん)著
目取真俊という芥川賞作家の、短編「水滴」もおもしろかった。
これは、在日コリアンの方に、
「芥川賞取ったって沖縄の作家については、
日本のほとんどの人は知らない」と言われたのがきっかけで読んだ。
1997年の作品。
「水滴」から、沖縄が抱える戦後がうっすらと見えてくる。
生きている人が持ち続けている戦争の記憶。戦友の記憶。
そういったものはいかに抱き続けていくべきなのか、
そんなことを僕は考えさせられた。
そして、本土と沖縄の、記憶に対する距離感の差を考えさせられた。
「犬の心臓」
ミハイル・ブルガーコフ著
コンプリシテが、昨年、
この作品を元にオペラ「A Dog's Heart」を作っていて、
ずっと読みたかったのだ。
犬の脳に、人間の脳下垂体を移植して、
犬人間を作っちまうってすごい話で俺は超好きだった。
作家が医師でもあるからちゃんとリアル。
2010年は、僕にとって転換点でした。
4月に「匂衣(におい)」
7月に「霞葬(かすみそう)」
12月に「空白(そらしろ)」(再々演)
と久し振りに年間3公演をやった忙しい年でした。
何より、「匂衣」は作品的にも各方面から評価をいただき、
作り手の僕らにとってもとても手応えのあった作品でした。
また、突然やった「空白」が思った以上に評判が良く、
「空白」を含めたレパートリーを持っていくことの重要性を、
認識させてくれました。
戯曲賞では、愛知のAAF戯曲賞に2年連続ノミネート。
惜しくも賞は逃しましたが、
公開審査で絞られるのは何よりの経験になります。
2011年は劇作家協会の新人戯曲賞でも最終候補に残りたいです。
今年は、新作を2本、劇団用に書きます。
できたら再演を1本、上演します。
外部にも1本は、新作戯曲を書き下ろしたい。
そして、演出に専念したものを1本やる予定です。
また、いよいよ、韓国公演の足ががりもつけたい。
そんなわけでいろいろ応援よろしくお願いします。
鳥の劇場。なんて素敵な名前でしょうか?
鳥の劇場という名前は、劇団名でもあり劇場の名前でもあります。
鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった小学校と幼稚園を劇場に変えて、
2006年から演劇活動をしている劇団があるんです。
鳥の劇場
http://www.birdtheatre.org/
おもしろそうな活動をいろいろしていて、
どんなところかすごく気になっていたのですが、
来週、盟友の上本くん(AAPA)が、鳥の劇場に、
ダンスを作りに行ってくるとのこと。
AAPAを見に行くついでに、
以前から興味があった鳥の劇場も見てくることにしました。
AAPA
http://aapa.jp/
神戸より西に行くのは初めて、という日本も知らない僕ですが、
19日(火)から、鳥取を旅してきます。
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杉並区に引っ越して2年目だけど、今年は初めて高円寺の阿波踊りを見た。
見る前は、「阿波踊りなんて。。。」ってちょっと馬鹿にしていたんだけど、
観客のすごい熱気、踊り自体の面白さに、
夜21時のフィナーレの瞬間には思わず感動でふるえていた。
見どころは、まず衣装。
踊るグループのことを連というらしいんだけど、
各連ごとに違う色艶やかな浴衣や着物が南国の蝶のように美しい。
そして、踊りの構成。緩急。阿波踊りには、
男踊りと女踊りという2種類があることを見て初めて知ったんだけど、
男踊りが休みになると女踊りが来て、
女踊りが休みになると男踊りが来るという、
このサンドイッチがなんともたまらない。
男踊りは、豪快に踊られ、
だからこそ、その後に来る、
小さな振りの積み重ねの、女踊りがより美しく感じてしまう。
そして、女踊りが一休みすると、またダイナミックな男踊り。
こういう構成って、多分、ダンスにも活かせるんだろうなあ。
自分の演劇にも、どこかで取り入れたいなあと思います。
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一週間ほど前なんだけど、”エロバリ”に行ってきた。
きっかけは、寺脇さんのブログ。
エロバリ=エロバリアフリーだ。
というと、なんかすごそうなんだけど
バリアフリー仕様のポルノ映画。
要は、副音声および日本語字幕つきの、ポルノ映画だ。
中野の映画館のモーニングショーで
朝9時半からポルノ映画を見るってどうよ?と思ったんだけど
エロバリアフリーっておもしろそうだなと思って観に行った。
朝9時半だから、案の定、お客さんもすごく少なかった。
ポルノ映画だからか、設定や展開がオイオイというか
安易な感じも拭えない。
けれども、エロバリは単に視覚障害者向け、聴覚障害者向け、
なのではなく、 健常者も障害者も
同じものを一緒に見る・聞くというのをコンセプトにしていて
特に副音声ではそれがある程度成功していたと思う。
副音声のコンセプトは「覗き見」だったらしいが(笑)。
字幕のほうは、映画館だから、耳ふさいでも聞こえてきてしまって
いいのか悪いのか、判断できなかった。
でも、映画館であえて目をつぶって映画を聞くって
なかなかしない体験で、良いね。
ポルノ映画だけど(笑)。
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今年の夏は戦争についてとても考えてしまう。
歳を取ったからだろうか。
寺脇さんと飲んだ時、
新国立でやった、井上ひさしの「夢の痂」 について、
僕は、「天皇に対する責任追求が甘い気がした」なんてことを、
生意気にも口にして、
「俺もお前みたいに若い時はそう思ったと思うよ」
なんて言われてたんだけど、
寺脇さんのブログの中で、こんな言葉を見つけて、
胸に重いボールをぶつけられた気がした。
「井上ひさしさん」より引用
http://www.f-kyoukai.com/blog01/?p=152
>井上ひさしの歴史劇が、
>戦争を引き起こした連中を糾弾するだけでなく
>わたしたちひとりひとりの心の中にも
>戦争につながる要素があったのかもしれない、
>と問いかける姿勢とつながってきます。
あの芝居を、
わたしたちひとりひとりの心の中にある、
戦争につながる要素という視点で見直したら、
何が見えてくるのだろう?
お芝居は映画と違って、
DVDを借りてきて見る、ということができないけれど、
もし、また再演があれば、
そういう視点を通して、
あの芝居と出会い直したい。
関連エントリー:
井上ひさしの「小林一茶」
井上ひさし「絶筆ノート」を読んで
井上ひさしを語り継ぐ
寺脇さんとお酒をご一緒した。
当然、お芝居の話をした。
寺脇さんは、
寺脇「君んところは役者がいいね。そこは気に入った」
鈴木「ホンはどうですか?演出は?」
寺脇「芝居はね、1本見ただけじゃわからない。
イチローだって3割しかヒットは打たないだろ?」
鈴木「それってダメだったって意味ですか?」
寺脇「まあこれからだな」
鈴木「・・・」
寺脇「好きな作家は誰なの?」
鈴木「野田秀樹です」
寺脇「俺はあいつの芝居は好きじゃない」
鈴木「・・・」
寺脇「他には?」
鈴木「あ、井上ひさしを最近読んで」
寺脇「お、俺は井上さんは好きだぞ」
鈴木「小林一茶というホンは面白かったんですけど」
寺脇「あれは初演を見たけど俺は好きじゃなかったな」
鈴木「・・・」
という風に、会話も弾み、
鈴木「俺は野田秀樹好きなんですよ」
寺脇「別に俺は野田秀樹好きなヤツを否定してねえぞ。
ただ、お前がMを好きだったら否定するけどな」
鈴木「・・・」
寺脇「まさか好きなのか?」
鈴木「ダメっすか?」
寺脇「あんな歴史の勉強もしてないヤツを好きだなんて」
鈴木「ダメっすか?」
寺脇「あれはナルシストだぞ?俺は表現者でナルシストは大嫌いなんだ!」
鈴木「表現者なんてナルシストじゃなきゃやってられません」
寺脇「わかった。もう、てめえの芝居なんか見ねえ!」
鈴木「さっき、また見るって言ったじゃないっすか?」
寺脇「クソっ、そういえば言った。ブログにもまた見るって書いちまった!」
という、楽しい時間を過ごしました。
※会話の内容は、かなり脚色してあります。
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野田秀樹が「井上ひさしを語り継ぐ」で、
「小林一茶」を読んだというそれだけの理由で、
僕は、「小林一茶」を読んだ。
井上ひさしは、いい話を書く、作家だという偏見が僕の中にあった。
でも、小林一茶は、その意味では、いい話では、全くなかった。
物書きの、いやらしい業の話だった。
つまり、俳諧師として名を上げるためだったら、
周りの人間をいくら不幸にしても構わない男の話だった。
その業というのが、
いわゆる物書きの業だけではなく、
人間の業という、普遍的なところまで立ち昇ってるから、
おもしろかった。
そして、野田秀樹が、
「24歳の時に、言葉のプロになろうと思っていた時に出会った」
と言って、なぜ、語り継ぐ会で読む戯曲として、
この作品を選んだのかも考える。
「小林一茶」の中にある、あるものが、
僕の作品に一番足りないもののような気がするのだ。
関連エントリー:
井上ひさし「絶筆ノート」を読んで
井上ひさしを語り継ぐ
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6/16(水)
深夜のコンビニで、
文藝春秋の井上ひさし「絶筆ノート」を立ち読みした。
一人の作家がどう死んでいくのかが克明に綴られていた。
作家として言葉を残すことの執着。
癌が病なのか?その執着が病なのか?
それほどまでに、井上ひさしの残す言葉への執着は病的である。
そしてだからこそ、凄い。
半年以内の自分の死を自覚している者にとっての、
生きる意味とは何なのだろうか?
自分のことだけを考えていたら、生きる意味は無いのではないか?
どんなに幸福であっても個人の生には期限がある。
ヒトの中に永遠を求めてしまう性(さが)があるのなら、
非永遠である個人の人生にどんな意味を見出せる?
残る(かもしれない)言葉を書くということは、
残る者に向けて、言葉を書くということだ。
個人の生の期限を越えた行為だからこそ、意味を見出せる。
井上ひさしの「絶筆ノート」から、そんなことを感じた。
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5/23(日)
劇作家協会の「井上ひさしを語り継ぐ」をお手伝いする。井上ひさしさんの戯曲を、劇作家たちが選んでリーディングするという公演。なんと、野田秀樹さんも参加されていた。そして、リーディングというのがあまり好きでないので、期待してなかったのだが、とても素敵なイベントだった。
野田さんは、井上さんの「小林一茶」を読んだ。「24歳の時に、言葉のプロになろうと思っていた時に出会った」という挨拶があって、「俺の方が言葉に対して少しばかり優しかったのさ、あるいは、より厳しく考えていたというか」で終わる、言葉を書く者の覚悟が込められた台詞を読んだ。最高だった。
終演後の打ち上げでは、AAF戯曲賞の時に審査員だった、愛知の佃典彦さんとずーっとお話しした。「書き始めた戯曲は、決して、途中で書くのをやめちゃいけない。途中で書くのをやめるのは、生まれたばかりの子供を置き去りにして殺すようなものだ。大量虐殺だ。登場人物は生きているんだ」
7/25(木)
うちから花火が見えるからおいでと誘われて、
友人宅の花火見パーティーにのこのこ出て行ったのは、
花火がめあてではなく、
そのおうちのご主人が寿司職人で、ご馳走がちらし寿司だったからと、
そのおうちというのが森下にあって、
取り壊されたと噂に聞くベニサンピットがどうなったか見に行けると思ったからだ。
森下と隅田川はそこまで近くはない。
頭に東京の地図と距離感覚がないから、
マンションの窓から見える花火が思いの外小さかったのには、
花火めあてではないとは言え、いささかがっかりした。
いや、がっかりしたというか、笑ってしまった。
だって、窓から見えるその花火はかわいいほど小さかったのだもの。
それでも、リビングにあった大画面のテレビの花火中継よりは、
肉眼で見る花火のほうに、なぜか心は動いた。
ちっちゃくても自分の目で見たほうが感動するのはなんでだろう?
こんなことなら日食も自分の目で見ておくんだった。
23時半頃お暇し、
白い壁に覆われ、その壁の中はからっぽの旧ベニサンピット跡地を覗く。
跡地の正確な場所を聞いた時に、「もう何もないよ」と言われたが、
何もないということを自分の目で確認したかった。
ジャンプして壁の向こう側を覗くと、やはり何もなかった。
僕は、この劇場では、空白に落ちた男しか、見ていないが、
その時に感じた、劇場の質感ははっきりと記憶に残っている。
そして、劇場がなくなるということは、
多くの作り手と観客の双方が愛した、この質感が消えることなのだと、
今さらながらに思った。
7/14(火)
今日も、くろにくるりのお手伝い。
16時からという約束だったので、
来年春にやりたいと思っている新作を書き進める。
ギャラリーで大学の後輩の有田くんと再会。
後輩だが、仲間の中で誰よりも早く、
パパになったアリ。
娘が好きで好きでしょうがないアリ。
かたや定職も持たず、
家庭を持つことも拒否する人間失格男。
アリはもう後輩なのに先輩である。
7/13(月)
何人かの知人、友人を、
大野舞さんの個展「くろにくるり」に誘う。
そういえば、大野舞さんは、
僕が演劇を始める直接のきっかけを作った人だ。
連れて行った人を彼女に紹介する時に、そのことがふとよみがえった。

(写真は11日のパーティーの様子です。)
彼女が主演して、大学内で上演した、
野田秀樹・作「農業少女」を見ていなかったら、
僕はきっと演劇をやろうなんて思わなかったに違いない。
古家寛くんの演出は今振り返ってみても斬新だったし、
なにより、あの時の大野舞さんはすごくよかった。
そして、今回の個展もすごくいい。
「農業少女」は、今年の秋に東京芸術劇場で、
タイの役者が演じるバージョンが上演され、
来年の春には松尾スズキが演出し、
多部未華子、吹越満、山崎一、江本純子が出演するものが、
上演される。
その時、僕は、あの農業少女と再会できるだろうか?
もうすでに、農業少女でも役者でもなく、
画家・大野舞になってしまった彼女の作品を眺めながら、
そんなことを思った。
ブログへのコメントを長い間放置してしまっていました。
何人もの方がコメントを書き込んでくださってくれていたようですが、
大量のスパムと忙しさにまぎれて、見落としていました。
一番古いものは今年の2/6、大野舞(Denali)さんでした。
ここ一週間のコメントには順次お返事させていただきますね。
さて、その忙しさの原因を作ったのも大野舞(Denali)さん。
一昨日から表参道で個展をひらいていて、
そのオープンのお手伝いをしておりました。

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「Denali's Exhibition 2009 -くろにくるり-」
=============================================
会期:2009年7月9日(木)~15日(水)
場所:ギャラリー Concept21
住所:107-0061 東京都港区北青山 3-15-16
Tel.&Fax:03-3406-0466
時間:11:00AM-19:00PM(最終日15時までです)
※11日(土)の16-18時は会場にてちょっとしたパーティを予定しています。
いよいよ、プロペラの公演が2週間後だ。チケットを買った。
身体をフルに使い、自ら歌い、楽器を鳴らし、
舞台を駆け巡る身体性が持ち味。
プレースリリースどおり、
「400年の時空を一気に飛び越え、
堅苦しくなく 素直に楽しめるエンターテイメントとして、
私たちが今までに見たことのない世界へといざなってくれる」
のなら、普段あまり演劇を見ないだろう僕の友人を誘って、
2回目を見てもいいと思ってます。
それは、1回目にかかってます。期待してるぜ!
youtubeにプロペラのプロモーションビデオがアップされてた。
演出家のエドワード・ホールは、
日本へ歌舞伎留学の経験があるらしく、
また、プロペラ設立のきっかけになったのは、何と宝塚らしい。
宝塚の男性版でシェイクスピアをやったらどうなるのかというのが、
最初の発想だったらしい。
アメリカから帰ってきた達郎が、
何かおすすめの芝居がないか?と聞いてきたので、
「プロペラ」という劇団をおすすめしてみる。

photo by Anthony Field
演 目 :『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』
会 場 :東京芸術劇場 中ホール(池袋駅西口)
公演日程 :2009年7月2日(木)~12日(日) 13回公演
フィジカルシアターというのは、
簡単に言えば、身体を使うことを重視した演劇で、
日本では野田秀樹、イギリスではサイモン・マクバーニーが有名。
劇団印象-indian elephant-も、
優れたフィジカルシアターをつくることを目指してる。
達郎とは、一緒に「エレファント・バニッシュ」を観て、
衝撃を受けたわけだから、多分、好みに合うのじゃないだろうか?
驚いた。
チラシが好評である。
いや、それは、毎度のことなので、もう驚かない。
チラシを渡した人からの反応もいいし、
電話やメールで、チラシ見ました!いいですね!って反応が来る。
でも、それはありがたいことにいつものこと。
じゃあ、なにに驚くのかってーと、
大野舞の画を、みんなかわいい!っと言うのだ。
そう、たしかにかわいい。
かわいいんだけども、
よく見ると、僕は彼女の画はすごく怖い画でもある気がするのだ。
みんながかわいいと思うのは、
彼女が選ぶ色が、カラフルで、幸福感に満ち溢れているからだ。
でも、その幸福感に隠れて、
幸福なまま、こちらの息を、呼吸を止めようとするような、
そんな妖しくて、怖い魅力を、僕は彼女の画に感じずにはいられない。
彼女の画で、
ずーっと、印象の宣伝をさせてもらえてきたのは、
これまた、幸福であり、怖いことでもある。
2月になった。
「青鬼」も、今回の演出プランが明確になりつつある。
僕は、この「青鬼」で、「食べる」というモチーフで、
現代に挑むんだ。皆さん、見ててください!
そんな矢先、知人のブログを見て、愕然としてしまった。
印象も、「青鬼」「枕闇」と撮ってもらった、ある舞台写真家のブログ。
http://de-tokio.way-nifty.com/gekijou/2009/01/post-0ca9.html
彼の知り合いのパレスチナ人から、
イスラエルから全面攻撃を仕掛けられた、
今のガザの現状を伝える写真が届いた、
というエントリー。そこには、写真のリンクが。
http://aoki.art.coocan.jp/gaza/
途端に、無力感に苛まれる。
今、自分がしてることは、世界のある状況と何も関係がないのではと。
もちろん、
関係ないと開き直って、自分が信じる面白さを、愚直に追求する方が、
関係があるように振舞うことよりも、本当は誠実なのかもしれない。
僕らには僕らの、生活があるのだから。
でも、でも、でも。
前回の復習。
クサいと、いいニオイは紙一重。
そして、臭いを1000分の1に薄めると、いい匂いになる。
(以下、ネガティブな香りは臭い。ポジティブな香りは匂い。)
香りの、
何かを1000分の1に薄めると、
価値が反転するという構造は、
考えてみると、とても面白い。
憎悪を1000分の1に薄めたら、愛情になるのだろうか?
戦争を1000分の1に薄めたら、平和になるのだろうか?
いや、ならないだろう。
憎悪も戦争も、薄めたって、
憎悪は憎悪だし、戦争は戦争だ。
でも、
ストーカーを、1000分の1に薄めたら、
よき恋人にはなる気がする。
SMの話。
痛みを1000分の1に薄めたら、快感になる?
ネガティブを1000分の1に薄めたらポジティブになるもの。
そんなものを探してみると、結構、幸せになれる。
しかし、現実世界には、そんなものは滅多にない。
香りの世界においてだけ、小さな奇跡があふれてる。
麝香(じゃこう)って言葉を知ってる?
僕は、その日(1/1に)、初めて知った。
鹿の性腺分泌物で、超~高価な香料のこと。
大元は、ウん百万もするらしい。
それを薄めて、いろいろなものに使うんだよね。
で、すごくいい匂いがするんだろうけど、
元の香料自体は、、、
臭いらしい。
耐えられないくらい、、、臭いらしい。
そりゃあ、そうだ。
性腺分泌物って言ったら、
下のあそこらへんのことだからね。
フェロモン出てたり、臭いだろうよ。
で、その臭いものを1000倍とかに薄めて、
香水とかに使うわけだけど、
1000倍に薄めたものはいい匂いになる。
つまり、クサいものと、いいニオイってのは、
紙一重ってこと。
僕らのうんこも、1000倍に薄めて嗅いだら、
シャネルの香水よりもいい匂いになるのかもしれない。
Perfumerについての話。
といっても、ポリリズムのPerfumeファンといったもんじゃなくて、
パフューマーという職業があるんですよ。
僕は、自分の芝居に、
意識的に匂い・臭いという要素を取り入れてるの。
理由は何個かあって、その一つが、
匂い・臭いってのは、目に見えないものでしょ?
目に見えないものを、見せるのが芝居だって思ってるから、
匂い・臭いが見えたら、その芝居は、一つ成功だよね。
ちなみに、
匂いと臭いってどう違うんだろう?
僕は、ポジティブな香りを匂い、
ネガティブな香りを臭い、って使い分けてる。
一般的にはどうなんだろうね?
というわけで、自然に匂い・臭いってことを、
暇を見て、調べるわけ。でも、
香水の本はたくさんあっても、
意外と、香水を作る人、
もしくは、香水以外の香料やフレーバーを作る人について、
書かれてる本は少ないんだ。
ざっと、調べた感じね。
少しだけわかったのは、
調香師っていう職業があること。
今風に言うと、パフューマーとかフレーバリスト。
要は、匂いを作る仕事。
でも、具体的なことがわからない。
彼らのリアルな生活、思考、もろもろのディテイルが。
で、お正月。
親戚同士の集まりで、僕と同い年のいとこが、
パフューマーであることがわかった。
本人が、パフューマーの仕事をしていること、
どんな面白さがあるのかを、わかりやすく話してくれたのだ。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしく!
2009年の目標は、新作を2本書くこと。
つまり、再演を3月と10月にやりますが、
それ以外に、もう二回公演をやりたいと思ってます。
5月か6月に一回と、12月か2010年の1月にもう一回。
今は、青鬼のリライトと新作を並行して書いてます。
書きたいことはたくさんあるので、
生きてるうちに書けるだけ書きたい。
高校時代の友人が、ナースと鍋パーティーをするので、
来ないか?と誘ってくれた。それで、
大量のナースと鍋を共にしてきた。断じて合コンではない。
テレビドラマを見ればわかると思うけど、
医者ものと刑事ものって面白いでしょ?
看護婦(今は、看護士ですね)も、
ちゃんと日頃から研究しておかないとという、
殊勝な気持ちでございます。
で、その研究成果はというと、
意外と、みんな彼氏がいる。
そして、彼氏は意外と、医者じゃない。
こんなことを聞いてみたが、断じて合コンではない。
実は、あんまりいろいろ聞けなかったんだよね。
だって、「どんなミスしたことある?」
って、看護士1年目の子に聞いたらさ、
涙目になっちゃったりしてね、困ったよ。
あ、医療ミスってことじゃなくて、
点滴をうまくつけてあげられなかったらしいんだけどね。
どちらにしろ、彼女たちは、
自分のミスが、患者の生死を左右するという現場に、
これから、どんどん関わることになるわけです。
そういうプレッシャーがあるのか、ないのか、
あるなら、どこで発散するのか、しないのか、
彼女たちのお酒の飲み方から、そんなことが見えてくるかな?
と期待しつつ、鍋でお腹がいっぱい。
10/31(金)
ブログの更新が滞っていましたが、引っ越しをしていました。
5年間過ごした大崎から、杉並区は西荻窪へ。
僕はドライなので、
大崎の、あの部屋には、まったく思い入れはないと思ってたのですが、
昨日(10/31)、鍵を返すにいたり、
からっぽになった部屋を眺めるにいたって、
自分の大事なものを、一つ失った気がしてしまいました。
大崎は、ルームシェアでした。
5年間で、入れ替わり立ち代わり総勢5人の友人たちと暮らしました。
5年間住み続けたのは、僕だけ。
同居人に演劇関係者はいなくて、
だから、価値観が全然違うのも面白かった。
メンバーとその周辺の、色恋沙汰もたくさん見てきたけど、
まだ書けないね。濃すぎて。
時期が来たら、いや、時効が来たら、
いつか、この5年間をネタに芝居を書こうと思います。
9/19(金)
昼。
映画「ヒズ・ガール・フライデー」のDVDを見る。
深夜。
田中さん、渡辺さん、に誘われ、
呑めないのに、ちょっとだけ呑む。
9/20(土)
昼。
実家に帰って、引っ越しのための片付け。
家具のほとんどない僕の部屋は、片付けと言っても、
捨てる本を選り分けるという作業がほとんど。
いらなくなった本を捨てるというのは、
いらなくなった自分を捨てるようだ。
夜。
うなぎを食う。
9/17(水)
夜。
「崖の上のポニョ」@品川プリンスシネマ。レイトショー。
作り手の、これがやりたいが先行しすぎて、
キャラクターの行動に脈略がなかったり、
説明台詞が多かったり。
ただ、海の描写はすごい。
9/18(木)
夜。
引っ越さなきゃいけないので、部屋の片付け。
テレビをつけるとフジのコント特番をやっている。
そういえば、AERAのコラムで鈴木おさむが宣伝してたね。
これが、視聴率を取れないと、テレビでコントができなくなるって。
で、おもしろくない。だって、作り込んだコントじゃなくて、
芸人のアドリブ任せだから、どうしたってグダグダになる。
芸人の数が揃ったから、安心したのか、
テレビでコントやれるのが楽しくなりすぎたのか。
そのグダグダがバラエティーのグダグダより、さらにおもしろくないグダグダ。
もうちょっと、台本をしっかり書いて作ったほうがよかったのではないか?
スマスマのコントのほうが、全然おもしろい。
9/15(月)
夜。
小学校時代の親友のライブ。
スカのバンマスで、テナーサックス。
終わった後にちょっと話す。
来年、一緒に何かやれたらいいね、と。
9/16(火)
夜。
チャリT企画「ネズミ狩り」。千秋楽。
僕が見たチャリTのここ3作品の中では、ダントツに面白かった。
勝手なお願いだけど、
楢原さんには、茶番だけで終わらない茶番劇を書いて欲しい。
今回のような、ハッとさせられるものを書いて欲しい。
というわけで、大変刺激になった一夜でした。
9/13(土)
朝。
第2土曜日はセタパブのマイムWS。
作用と反作用が頭に残る。
講師が自信なさげだとこっちまで不安になる。
その姿に自分を見る。
9/14(日)
朝。
金曜日に続いて、茅ヶ崎でバラシ作業。
インパクトでがんがんビスをはずす。
その合間に、吉祥寺シアターでの父産美術ミート。
夕方。
昨日から読んでいた、立花隆の本を読む。
相対性理論、エントロピー、パリティ対称性の破れ、
などの発見の社会的意義をなんとなく理解する。
本の主旨とは関係ないが、読みながら、
今におけるサイエンスフィクションの可能性を再認識。
9/11(木)
夜。
HDにたまっていた「四つの嘘」、ラスト3話分をまとめて見てしまう。
ラストはともかく、第一話から第五話ぐらいまでは、めっちゃ面白かったな。
永作博美がすごく艶っぽかった。さて、
女のアラフォーはドラマになるが、
男のアラフォーはドラマになりうるか?
9/12(金)
夕方。
茅ヶ崎で、搬出後のトランクルームの整理。
ロンドン出発前の祐といろいろ話す。
今回は、役者が伸びたねえ、とか。
来年の吉祥寺シアターの舞台美術について、とか。
