2018年01月02日
 ■  「すばらしい新世界」と「一九八四年」を読んで

明けましておめでとうございます。

年末は、ディストピア小説の不朽の名作を2本読みました。
1932年に書かれた、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」と、
1949年に書かれた、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」です。

どちらも絶望を描いた作品で、作中には希望を見い出すことはできなかったのに、
なぜか、幸福な気持ちになりました。

小説だけに限らず、芸術には、
「コンセプト」が素晴らしいものと、
「ディテイル」が素晴らしいものがあると常々思っていて、
「すばらしい新世界」は、コンセプトが素晴らしく、
「一九八四年」は、「ディテイル」が素晴らしかったのです。

まず、「すばらしい新世界」から読みました。
80年以上も前に描かれた、「未来」のコンセプトにまず驚嘆します。
全ての赤ちゃんが人工子宮ならぬ「瓶」から出荷されます。
親、子、家族という概念は否定され、
しかし、快楽のためのセックスは推奨されています。
基本的には、望めば誰とでもセックスできる夢のような世界。
結婚という概念は存在しない。
幸福は、安全なドラッグを通して提供されます。
健康を害さず、依存症にもならず、
副作用もほとんどない安全な覚せい剤みたいなもので、いつもハッピー。
しかも老化もない。ただし、若い姿を維持できるのが60歳までなので、
60歳ぐらいで全員安楽死処分されます。
このようなことが、ブラックユーモアで描かれます。笑えます。

一方、「一九八四年」では、管理社会が、徹底的な冷たいリアリズムで描かれます。
その「管理社会」の姿には、目新しいものはないのですが、
その丁寧で細かい筆致は、「管理社会」に抵抗する主人公の、
精神の内側に入っていく感覚を、読者にもたらします。
小説とは、人間の精神の運動を描き、
また、読者にそれを感じさせる表現媒体なのだということを、
あらためて、発見させてくれる小説です。

「一九八四年」の「管理社会」では、「結婚」も「出産」も、
社会のために行うのならば許可されているが、
「恋愛」や、快楽や性愛を目的としたセックスは、禁止されています。
その中で、主人公たちは「恋愛」をするわけですが、
この小説を読んだ後は、
「恋愛」や「愛」というものに対する認識が変わります。
少なくとも、私は変わりました。

幸福は、主観的感情とは同一ではない。
幸せの追求は、特定の感情状態の追及ではない。
では何か?
真の自分(あるいは人間)とは何かを知ることです。
そのために、自分の感情や思考、好き嫌いと自分自身を分割し、
自分が本当は何者なのかを、理解すること。
2018年は、それに挑戦したいと思います。

投稿者 atsuto : 2018年01月02日 12:37

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