2017年06月14日
 ■  “議会”の“一般質問”を聞きに来ない?

「“議会”の“一般質問”を聞きに来ない?」と市議会議員をやっている友人から誘われたのは、今年の5月の頭だったと思う。“一般質問”という言葉の意味が、私にはわからなかった。わからないけれども、その後の、「うちの議会なんて、“シャンシャン議会”だからさー」という言葉に惹かれた。“シャンシャン議会”。政治の世界には、私の知らない言葉がいっぱいある。“異論もなく、あっと言う間に終わる”議会のことを言うのだそうだ。

というわけで、先日、私は、誘われるまま、ある市の議会の一般質問を聞きに言った。市役所の建物の中に議会があり、受付で「傍聴に来ました。」と言えば、誰でも簡単に傍聴できる。名前と住所を書いて傍聴バッチをもらう。席に座ると、お目当ての友人議員の一般質問は既に始まっていた。

議員が質問して、市の役人がその質問に答えるという枠組みで進んでいく。即興ではなく、事前に質問は共有されているのだろう、どちらも原稿を朗読している。“議会はシナリオのある学芸会”とは聞いていたが、特に、市の役人の朗読が棒読みだった。これはちょっと退屈だなあと思っていた矢先、私の友人議員が原稿を読みながら、泣き出した。驚いた。

彼女が泣き出したのは、義務教育の年齢でも、学校に行かない・行けない子どもたちがいるということを訴えていたあたりだったと思う。そういえば、子どもの貧困が広がっているという話を彼女がしていたことがあったっけ。日々の議員の活動の中で、貧困家庭の実態を目の当たりしている彼女は、特別に思うことがあったのかもしれない。

一般質問中に泣いてしまうのは、議会において有効だとは、私は思わない。実際、彼女の嗚咽が響く中でも、議会は淡々と進んでいった。しかし、同時に彼女の人間としての温かさや思いやりの深さに、とても強く心を動かされた。あんなにも他人の状況に対して、感情移入をしたことがここ最近あるか?アツト?

世界中で、仲間だと思える範囲が縮小している。新しくその国に入ってくる移民や難民を仲間だとは思えなくなっている。いや、そもそも日本では、移民や難民が入って来てないのに、元からあった仲間意識が縮小している。自分が逆の立場だったら。その想像力を持てないのだとしたら、そもそも私達は人間なのだろうか。

投稿者 atsuto : 2017年06月14日 10:41

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