2016年06月11日
 ■  London日記 7ヶ月と11日目

先週も書いたが、私は、今、
「IMPLICATED THEATRE」のワークショップに参加している。専門的なことを書くと読む人が減るので、一言だけ書くと、これは、BoalのForum Theatreのmethodを使ったワークショップだ。

今年のテーマは、「移民・難民」。参加者は、移民や難民になり(もしくは、参加者自身が移民や難民である。)、それぞれの家族に別れを告げ、今、ロンドンの、あるレストランで、ウェイターの職についていて、あなた(観客)の前に、トレイ(お盆)を持って立っている、という設定だ。

トレイを使って、様々な演劇的なイメージを作る。ある者たちが、トレイを頭に載せ、それがテーブルの天板になる。テーブルの下でもがく移民たちと、テーブルの上で食事を楽しむ人々のイメージ。またある時は、トレイは、経営者(資本家)から自分の身を守るための、従業員たちの盾に変わる、イメージ。

これらのイメージを観客参加型の演劇にすることによって、観客自身も、資本主義の世界の中で、知らず知らず搾取する側に回っていることを、認識させる仕掛けになっている。

そして、本番まで2週間を切ったのだが、その過程で、人形劇のワークショップで経験したことと同じことが起こっている。このチームでも、次々に新しいアイディアを採用するため、練習時間が、新しいアイディアが使えるかどうかの検証で無くなり、構成が最後まで終わらないから、後半何をするのかわからないし、練習量が圧倒的に足りない。そして、欧米ではよく言われることだが、参加者の発言量は多い。

僕は前に、日本人は完成度を高めるのが好きで、こちらでは、新しく面白いアイディアが好き、と書いたが、これは好き嫌いの問題ではなく、責任の果たし方の違いなのではないかと今日思った。日本人は、こういう状況だと、黙って、流れを見ながら(空気を読みながら)、自分のパフォーマンスのクオリティーを上げることを黙々とやる、そういう責任の果たし方なのではないか?こちらでは、発言をすることが責任の果たし方なのだ。議論に参加し、どう思っているかを言うことが責任の果たし方なのだ。

こちらの”Responsiblity"が日本の「責任」よりも、常に必ずしも、優れているとは思わないけれども、今、私はLondonにいて、郷に入れば郷に従わなければいけないのである。そして、パフォーマンスのクオリティーを気にする日本人が、正しくない発音とデタラメな文法になることを恐れずに、(いや、そんなものはゴミ箱に投げ捨てなければならない!)自分の意見を伝えるという作業は、絶対に突破しなければいけない壁だなあと思う。

Performance Date
FRI 24 Jun, 6pm,
Serpentine Galleries Pavilion

もうすぐ予約サイトができますので、お知らせします。
ご興味のある方は、予定だけ空けておいてください。
日本では見られない、私の演技が見られます。
また、即興ですが、英語の台詞もあります。

写真は、英語に悩みすぎて、犬語しか喋れなくなった、私です。

投稿者 atsuto : 2016年06月11日 02:06

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