2016年05月07日
 ■  London日記 6ヶ月と7日目

Londonで生活するようになって以来、
できるだけ毎日新聞を読むようにしている。こちらでは、
MetroとEvening Standardの二誌は、無料で配布されている。
イメージとしては、
夕刊フジと東京新聞が駅前で無料で配られている感じ。

語学学校の日本人スタッフに、
効果的な英語の勉強方法は何かと聞いた時に、
「とりあえず、通学中に、新聞を毎日読むこと」と言われて、
ずっと続けている。

驚いたのは、新聞の中に、演劇の記事が多いことだ。
ほぼ毎日何か載っている。劇評は、ウェストエンドだけでなく、
客席100名弱の小劇場の芝居でも取り上げられていて、
他に、新進気鋭の演劇人の記事とかもあり、
難しい単語は多いのだけれど、いい情報収集になる。
作品を、星で評価されることに、一長一短はあると思うし、
高評価の作品を見ても、エッ?と思うことは多々あるが、
やはり、新聞によって取り上げられるということに、演劇文化の厚みを感じる。

また、新聞を読んでいると、今の話題にも、付いて行きやすい。
最近の話題としては、ロンドンの新市長が、
イスラム教徒でパキスタン系のサディク・カーン氏になったことだろう。

ロンドンは、多文化共生が進んだ都市だが、そのことに対する反発も強い。
私の、前の部屋の家主は、少し右翼的な考えの持ち主で、
「移民はちょっと多すぎると思う。
問題を起こす人も多いし」と話していたことがあって、
ああ、みんながみんな、この多人種な感じを好きではないんだな、
むしろ、先進国のどこも共通の、普通の人の右傾化があるんだな、
と思っていたので、新市長に南アジア系が選ばれたことに、私は驚いた。

さて、そうした刻々と変化していく時事問題について、
演劇は、どう向き合うべきか、というのが今日私が書きたいことだ。
National Theatreで今日千秋楽だった、
「Another World : Losing Our Children To Islamic State」は、
その名の通り、自分の子どもたちがISISに行ってしまった母親たち
の話だったのだが、内容の、情報としての価値を横に置くと、
登場人物が、椅子に座って、それぞれのエピソードを語るだけの構成に、
これって演劇なのだろうか?と思わざるを得なかった。

anotherworld-p.jpg

もちろん、その語られる内容は、観客にとって新鮮で今日的かもしれない。
移民二世、三世たちの、完璧な英語を話せるにも関わらず、
職業差別を受けていること、
例えば、モロッコ系なら、イギリスではお前はモロッコ人だと言われ、
モロッコでは、お前はイギリス人だと言われ、居場所がない感覚の話。
あるいは、ISISが捕虜にオレンジの服を着せるのは、
グアンタナモで囚人たちが着せられるているのを真似ているだけ、という話。
普通の人は、よく知らないかもしれないが、本や新聞を読めばわかる内容を、
ダイアローグではなく、モノローグで語っているだけと評価すべきなのか、
今、最も旬な話題を、よくぞ取り上げたと評価すべきなのか。

登場人物をグループに分けると、
母親たち、イスラム系移民の学生たち
(ただし、ISISに行った子どもたちではない)、
専門家たち(大学の教授や政治家とか)だったのだが、
母親たちの英語は、単語が簡単で、聞き取りやすく、しかも感動的であった。
つまり、専門家たちのモノローグをできるだけ減らして、
母親たちのダイアローグを主にして欲しかったなあと、私は思う。

投稿者 atsuto : 2016年05月07日 21:48

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