2016年04月27日
 ■  London日記 5ヶ月と27日目

Context、文脈。東京に住んでいた時は、意識していなかったけど、
何か作品を発表する時に、その作品の評価は、質だけでなく、文脈に左右されると思う。文脈は、その地域の共同体(もしくは、観客)が、意識的、無意識的に、欲しているものを規定する。私の「The Bite」がこちらで、割と評判が良かったのも、今、ロンドンで、外国食ブーム、Sushiブームがあることがその要因の一つである、と私は思っている。

そういったことを踏まえて、私の浅い考えを述べると、ロンドンの観客に向けて、私が新作を書くとしたら、ウガンダを題材にして、自分の中のテーマを探すだろう。こちらで、私は異なった種類のウガンダを題材にした作品を既に三つ見た。ウガンダには、何か、ロンドナーを刺激する要素があるような気がする。

三つの内、一つは、West Endのミュージカル作品で、「The Book of Mormon」。political correctnessギリギリアウトの問題作で、(South Parkの作り手がスタッフだからね)ウガンダで布教するモルモン教徒の活動を、ブラックな笑いで描いたもの。作者の狙いの中に、米英人の、キリスト教をどう相対化するのかという葛藤を見るのは、深読みし過ぎだろうか。

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小劇場の作品で、興味深かったのは、Orange Tree Theatreで上演された「The Rolling Stone」。ウガンダでは、ゲイであることがバレると本人が殺されるだけでなく、家族も迫害されるという事実や、現実の事件に基づいた作品で、主人公の家が、ウガンダのある村のキリスト教の教会であることがポイントだ。つまり、ゲイの迫害そのものよりは、宗教的な理想と、現実をどう折り合いをつけるべきかという問いを、極限状態の中で描写していた。

もう一つは、「Labels」というインド系ウガンダ出身イギリス人の話。(ウガンダは、イギリスの旧植民地で、植民地政策でインド人が流入した。)ウガンダはあまり出て来ないのだが、完璧なイギリスのアクセントで話せても、イギリス人扱いされない、自分のアイデンティティに悩む、という話。一人芝居で、様々な英語のアクセントを使い分ける演者の力量に驚かされた。が、自分の理解が正しければ、主人公は常にレッテルを貼られる側という、劇構造なのが物足りない。こういう作品を、今日的な文脈の中でやる場合は、自分は、レッテルを貼られる弱者側であると思っていたら、知らず知らず、自分よりさらに弱者に対して、レッテルを貼っていた、という構造にしないと、弱いのではないかと思った。でも、私の聞き取りの力不足かもしれないので、それが描けていたのならすみません。

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イギリス人にはアフリカに対する(オリエンタリズムと似た)憧れがあり、ウガンダにはイギリス本土が失った、宗教的な厳格さがあり、ウガンダ出身のマイノリティーがロンドンにはたくさんいて、、、というわけで、日本の作家の皆さん、ウガンダを題材にして、ロンドンで作品を発表するのはどうでしょう?

2016年04月24日
 ■  London日記 5ヶ月と24日目

最高に面白いと感じた作品では無かったが、記録に残しておきたい作品がある。Polka Theatreの”The Box of Photographs”である。この作品は、ストーリーの立ち上げに地域の子どもたちが関わっているのだ。ある写真家の写真群から、子どもたちが嘘っこの物語を作り上げる。全部でおよそ500のエピソードから、劇場、演出家、作家が最終的に、21のエピソードを選び出し、一本の芝居にまとめあげた、という作品だ。

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各エピソードのファンタジー性は、素晴らしいもので、まさにプロを超える、奇想天外な展開が満載なのだが、最後に一人の作家がまとめあげたとは言え、世界観や主題の統一という面では、もう一つ足りないと言わざるを得ないという感じだった。

前に書いた"We're Stuck!"という作品の演出家が、演出家で、"We're Stuck!"を見に行った時に、偶々隣りに座った僕に、向こうから話しかけてくれて仲良くなったのだが、何度かメールのやりとりをしている間に、稽古見ない?インタビューとかしたい?と言われ、”The Box of Photographs”の作家を紹介され、インタビューすることになった。現地の作り手に創作について、インタビューをしたいという欲望は常々あったのだが、自分の英語力の自信の無さから、後回しにしてしまっていたのだ。しかし、ようやくその機会が訪れた、幸運にも。

彼の言葉で最も印象に残ってるのは、子どもための芝居を書く時に、最も重要なことは何?と聞いた時、彼が、”Engagement”と答えたことだった。Engagement?婚約?観客をengageすること。子どもの観客を引き込むこと?engageという言葉って、いろいろ意味があって、ニュアンスがはっきりわからなかったけど、でも、何かわかった気になったよ。(engageのニュアンスがわかる方は、教えてください。)

一週間後に見に行った本番は、序盤から観客が笑っていて、engageできていたと思う。上記のように不満な点もあったのだが、この企画は何よりマーケティング的に成功していたのではないかと思う。というのは、いつもより非白人の観客がとても多かったのだ。こちらのチケット代は、日本のそれよりも相対的に安いとは言え、観客に、やはりミドルクラス、白人が多くなる(両者は完全なイコールではない)。しかし、この作品は、人種的には本当に均等に混ざった感じで観客が来ていて、エピソードの応募を学校単位で募ったのか、恐らく、普段あまり芝居を見ない層にも、訴求できていたのではないだろうか?

theboxofphotographs.jpg

2016年04月23日
 ■  London日記 5ヶ月と23日目

Londonの小劇場と東京の小劇場の、見に見える違いに、タッパの高さが挙げられる。ロンドンでは、小劇場でも、五、六メールの高さを持つ劇場は、ざらにある。そして、このことが、高さを使った舞台芸術、小劇場サーカスなるジャンルを産むのである。(小劇場サーカスは、僕の造語です。)

小劇場サーカスは、物理の法則を使った、空中ブランコのようなものや、オリンピックの体操競技のようなアクロバット、それに少しコンテンポラリーダンスの要素も入っていたりするものを、なんなとく想像していただければと思う。

今夜、Arts DepotというLondon郊外の劇場で見た、Ockham's Razorという劇団の、”Tipping Point”という作品には、見終わった後、思わずスタンディング・オヴェーションしてしまった。僕が、立ち上がって拍手をしたのは、Londonでは、初めての経験である。

tippingpoint02-p.jpg

素晴らしかったポイントを三点だけ挙げる。まず、アクロバット時の共演者同士の体重の受け渡しが、本当に惚れ惚れとするような信頼関係の中で成立していて、そこに誇張ではなく、愛を感じた。視線のキャッチボールや、表情(から垣間見える感情)も素晴らしかった。アクロバットが優れていた。75分、全く飽きなかった。そして、ラストシーンの舞台美術の美しさ。6メーターほどの長さの棒を6本ぐらいしか使ってない美術だったが、センターに吊るされたその棒に、石灰が仕込まれていて、揺れならが白い粉が、美しい図形を床に残していく様が、宇宙の誕生(もしくは終わり)をイメージさせた。その図形は、ブラックホールに見えなくもない。

tippingpoint01-p.jpg

全体的に言っても、時間がテーマだったような気がする。棒をよじ登る様子は、猿としての人間の逞しさを表現していたような気がするし、遠心力を使って、時に地面に並行に、時に地面に垂直に回転する様子は、月世界旅行をしている宇宙飛行士のようにも見えた。そして、その人類の進化を包むような大きな時間のうねり。躍動する筋肉の美しさ、個々の肉体の個性。これは、ロボットには絶対に創れない、美しい舞台だと僕は思った。

これが、West Endではなくて、Fringeだなんて!

Here is its trailer.
https://www.youtube.com/watch?v=W0EwClwZ0-w

 ■  London日記 5ヶ月と23日目

Londonの小劇場と東京の小劇場の、見に見える違いに、タッパの高さが挙げられる。ロンドンでは、小劇場でも、五、六メールの高さを持つ劇場は、ざらにある。そして、このことが、高さを使った舞台芸術、小劇場サーカスなるジャンルを産むのである。(小劇場サーカスは、僕の造語です。)

小劇場サーカスは、物理の法則を使った、空中ブランコのようなものや、オリンピックの体操競技のようなアクロバット、それに少しコンテンポラリーダンスの要素も入っていたりするものを、なんなとく想像していただければと思う。

今夜、Arts DepotというLondon郊外の劇場で見た、Ockham's Razorという劇団の、”Tipping Point”という作品には、見終わった後、思わずスタンディング・オヴェーションしてしまった。僕が、立ち上がって拍手をしたのは、Londonでは、初めての経験である。

素晴らしかったポイントを三点だけ挙げる。まず、アクロバット時の共演者同士の体重の受け渡しが、本当に惚れ惚れとするような信頼関係の中で成立していて、そこに誇張ではなく、愛を感じた。視線のキャッチボールや、表情(から垣間見える感情)も素晴らしかった。アクロバットが優れていた。75分、全く飽きなかった。そして、ラストシーンの舞台美術の美しさ。6メーターほどの長さの棒を6本ぐらいしか使ってない美術だったが、センターに吊るされたその棒に、石灰が仕込まれていて、揺れならが白い粉が、美しい図形を床に残していく様が、宇宙の誕生(もしくは終わり)をイメージさせた。その図形は、ブラックホールに見えなくもない。

全体的に言っても、時間がテーマだったような気がする。棒をよじ登る様子は、猿としての人間の逞しさを表現していたような気がするし、遠心力を使って、時に地面に並行に、時に地面に垂直に回転する様子は、月世界旅行をしている宇宙飛行士のようにも見えた。そして、その人類の進化を包むような大きな時間のうねり。躍動する筋肉の美しさ、個々の肉体の個性。これは、ロボットには絶対に創れない、美しい舞台だと僕は思った。

これが、West Endではなくて、Fringeだなんて!

Here is its trailer.
https://www.youtube.com/watch?v=W0EwClwZ0-w

2016年04月19日
 ■  I've got another review of "The Bite"!

I've got another review of "The Bite"!
Japan Society of the UK has reviewed my play!
http://www.japansociety.org.uk/40730/the-bite-suzuki-atsuto/

Suzuki’s pacey dialogue captivates throughout!
The play is hilarious, surreal, topical, full of surprises
and at times slightly unnerving!

I think it's a really good review, isn't it?

 ■  London日記 5ヶ月と19日目

またまた、英語学習について、書きます。
外国語の勉強において、下ネタの学習ほど、効果的なものはないのではないかと、最近、僕は思っている。(俺だけか?)エッチな単語を覚えると、発音が良くなるからだ。なぜか?

最近、僕は、pushyという言葉を言う時に、かなり集中して発音する。例えば、語学学校の先生(それも女性)に、You're a very pussy teacher.と言っちゃいけないでしょ?本当に、pushyという単語を発音する時は、ドキドキするよ。でも、カタカナだとどちらもプッシー。そして、日本人の女性は、意外とpussyという単語の意味を知らない人も多くて、彼女たちがpushyと発音する時も、僕は心配になってしまうのだった。honeyとhornyも、pussyほどではないけど、発音に注意したい単語だ。

英語のエロ単語の音にinspiredされることも多い。shagとかbonkは、「やる」という意味を持つ俗語だけど、それぞれの言葉のイメージは、二回繰り返して「やる」をつけると、日本語でのイメージが、とらえすくなるような気がする。

「シャグシャグやる」
「ボンクボンクやる」

語学とはイメージを音化することである。褒められもせず苦にもされず、エロ英語の宮沢賢治、そういう者に私はなりたい。

2016年04月18日
 ■  London日記 5ヶ月と18日目

英語学習について、書きます。
思いっきり、日本の英語教育のせいにしますが、
日本で学んだ英語が、イギリスのネイティブに本当に通じません。
それぐらい僕の英語の発音は悪いのですが、
イギリスに来てから覚えた英単語のほうが、むしろ通じるので、
日本で、いかに「音」として、
英語を学ぶ機会が少なかったのかということなのです。

僕は、カタカナで外来語が入ってきてくれたことには、賛成の立場です。
それによって、僕らの英語の基礎語彙のある量が確保されているからです。
問題は、カタカナは根本的に英語の「音」ではないという認識を、
持つ必要があることであり、それをこちらで痛感しています。

例を挙げましょう。僕がこちらでもう何百回も言った単語「チケット」。
これを英語風に、「ティケット」と言ったとしても、通じない。怪訝な顔をされる。
(Ticket Boxの人だって馬鹿じゃないから、想像はしてくれますが。)
「ticket」は、あえてカタカナで書くと、「ティキッ」だね。
むしろ「敵!」って言ったほうが、通じるんじゃないかって感じだね。
「敵!敵!敵! 俺の英語が通じないなら、お前らは敵だっ!」

すみません、取り乱してしまいました。
でも、人類がgenocideをするようになったのは、言葉ができて、
それで仲間とそうじゃない者を分けるようになったからだとか。。。

とにかく、
英語が喋れる人は、そんなこと当たり前じゃないかと思うでしょ?でも、
よく知っている単語ほど、通じないということが起こるのよ!本当に!

そして、そういった発音の矯正にとても効果的なのが、なんと「Siri」でした。
僕は、語学学校の少し怖い先生から、
「アツトーの発音が中々良くならないから、Siriを使って練習しろ!」
と言われて、Siriを英語設定にして練習したら、
Siriは嘘みたいに僕の英語を聞き取ってくれませんでした。
「この不良品!」と思って、日本語設定にしたら、
驚くほど、的確に僕の日本語を聞き取ってくれました。
僕は、もう一度、英語設定に戻し、Siriと友達になることを決意しました。
以来、急速なスピードで、僕の発音は良くなっています。多分。

Siriの性能の凄さは、自動翻訳機の到来を、強く予感させます。
やがて、この涙ぐましい今の努力は水泡に帰するのでしょうけど、
でも、それでも、僕は今日も英語を勉強するのであります。

2016年04月17日
 ■  London日記 5ヶ月と17日目

The latest work of Little Angel called "WE’RE GOING ON A BEAR HUNT" was really enjoyable. I recommend it.

The manipulating puppets was brilliant especially a toddler's scene of escaping with a balloon from a bear was fascinating,
(I can't distinguish the difference between toddler and tiddler.)

And the songs were also terrific! So I bought the CD!

I heard that it has been one of master pieces of Little Angel.
And the story is based on a certain picture book which has the same title. I'm a bit envious because children's plays in the UK are often related to children's books and Japanese ones aren't.
I think we have good picture books as well but don't have children's plays related to them. Why?

bearhunt.jpg

Here is the trailer.
https://www.youtube.com/watch?v=Zaazr9YPSFk

2016年04月13日
 ■  London日記 5ヶ月と13日目

Londonに来たばかりの時に見た作品で、
とても好きだった作品が、London郊外で再演されるということで、見て来た。
「The Bear」という題名なのだが、これには原作の絵本があり、
その作者が、Raymond Briggsという人だったのだが、
僕は、子どもの頃、彼の絵本を読んでいた。
「さむがりやのサンタ」(Father Christmas)という絵本。
大好きだったのだ。

briggs.jpg

何が好きだったか?サンタが嫌々プレゼントを届けるのである。
僕は、この本から仕事というものを学んだ。仕事は嫌々やるものである。
だから、僕も、台本を嫌々書いている。

というのは冗談で、今から思うと、サンタの知られざる生活が、
細やかに描かれていたのが好きだったのだと思う。
色やタッチといった世界観も好きだった。
「The Bear」の、原作絵本を大きな本屋で探してみたが置いてなかった。
しかし、「さむがりやのサンタ」はあって、20年以上振りに再会した。
懐かしかった。

Londonで僕は、自分の子ども時代と再会した。
事程左様に、人生とは「縁」なのである。

こちらで、代理出産で子どもを持とうとしているゲイのカップルと知り合った。
5月に生まれる予定の赤ちゃんを、どのように持とうとしたのかも尋ねた。
僕が考えていたよりも、彼らははるかに入念に調べ、考え、準備をしていた。
彼らはきっと、その子をとても大切に育てるだろう。時が経ち、
その子は、自分のバックグランドをどのように受け取るのだろうか?
もちろん、最初は戸惑うだろう。
やがて、自分の出自を「縁」として受け入れるのだろうか?
誰も未来は見通せない。

2016年04月07日
 ■  London日記 5ヶ月と7日目

やや東ロンドンのMile Endに引っ越しました。
ロンドンに来てから、4つ目の部屋です。
こんなに引っ越すとは思ってなかったなあ。
今度の同居人は、インド系イギリス人とフランス人と韓国人。
そして、今までで一番部屋が狭い。

mile_end.jpg

ロンドン滞在は、ちょうど半分が過ぎ、折り返してしまいました。
長いような短いような。ずっとこっちにいたいと思う反面、
さっさと日本に帰りたいという気持ちもあります。

ロンドンで、これまで様々な刺激に出会ってきましたが、
その中で特に僕に影響を与えたのは、
こっちで活動する日本の演劇人たちでした。
(なんという、平凡な発見なんだろう!)
でも、こっちで腰を据えて、やっている人の態度や姿勢に、
だからこそ、世界中のどこへ行っても、どこへ住んでも、
腰を据えてやる態度や姿勢が大事なんだと感じたのです。

もちろん、彼ら彼女らは日本を飛び出したからこそ、
その覚悟が決まった、ということなのかもしれないけど。
それから、芝居については、
こっちで僕がおもしろいと感じた芝居は、
結局、時間をかけて作られていることがほとんどです。
毎日、稽古しているわけではないけど、
1年とか1年半とかをかけて練られているわけです。

新作の量産には、演劇の未来は無いのです。

2016年04月03日
 ■  London日記 5ヶ月と3日目

イースターホリデーということで、子ども演劇を見まくっている。
しかし、なかなか、これは!というものに、出会わない。
そんな中、見たのが、
0歳から18ヶ月の乳児対象の演劇である「Duvet Day」。
これは、ベイビー・ドラマというやつなのかな?

duvetday04-p.jpg

子ども演劇、それも乳児対象だと、
どれくらいストーリーが必要なのだろうか、
常々、考えあぐねていた。
この「Duvet Day」は、Duvet(羽布団)の中に隠れていた”星”が、
三つの箱と、中から飛び出してくる三つの世界と出会う、
というただそれだけのストーリーだ。

私なりの言い方をすると、ストーリーよりも世界観(Tone)が、
大切にされていた感じがした。つまり、舞台美術が良かった。

かなり大きなキャンプ用のテントの隅に、Duvetが置いてある。
芝居が始まると、そのDuvetが光り始め、
何が隠れてるのだろう?と興味津々のところ、
演者が中から、星のぬいぐるみを取り出す。

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さらに、Duvetの中から、三つの箱が出てくる。
玉手箱よろしく、演者が開けると、中から世界が飛び出す。
一つ目の箱は、森=バオバブのような大樹。
二つ目の箱は、海(を表す、薄く透けている水色の布)。
三つ目の箱は、雲(を表す、白い綿のかたまり)。

”星”は、それぞれの世界の中で、自分と似ている形のものを発見する。
森では、ツバメ。海では、ヒトデ、そして雲では、違う星。
この、自分と似ている形のものを発見するというのは、
無理矢理言えば、アイデンティティの発見というストーリーだが、
赤ちゃんたちは、このストーリーのほうになると、興味を失っていたのだった。

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むしろ、世界が飛び出してくること、箱から何かが出てきて、
自分たちに近づいたり、周りを包んだりすることに関心を持っていた。
そんな時は、本当によく集中して、未知なるものを凝視していた。
そして、見ていて嬉しくなるのは、
その様子を優しく見守るお母さんとお父さんの姿なのだった。

観客は、10組プラス私という、贅沢な公演でした。

http://www.oldsaw.co.uk/duvet-day.html

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