2014年06月11日
 ■  Real Arts Conversations 第4週目、5週目

RAC(Real Arts Conversations)のレッスンが楽しくなってきた。
この2週間は、予習・復習の時間をできるだけ取るようにした。
そうすると、どんどん楽しくなってくる。

今日は、
I'm gonna tell you about a production that I saw.
自分が前に見た芝居を、みんなの前で英語で紹介する。
私は、フィリップ・ジャンティの「動かぬ旅人」を紹介した。

It was performed at Parco Theatre in Shibuya in 2013.
I thought the production was very captivating.
The directions takes elements from mime, dance and dolls.
The performers handled various dolls and puppets.

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Some dolls of the face same as a performer appeared and,
Some dolls of naked children with performers' heads appeared and,

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One of those was a doll with an armor.
When it take off the armor, it became a business man.
It was us in a suit, I thought.
I felt as if I were in a dream.
And I could catch the wonder images and pholosophocal message from this production.

他の参加者では、
ピーター・ブルックの「ザ・スーツ」のことを紹介した人がいて、
その話もとてもおもしろかった。「ザ・スーツ」、見たかったなあ。


Real Arts Conversations 第1週目
Real Arts Conversations 第2週目、3週目

2014年06月08日
 ■  デイヴィッド・ルボーの公開ワークショップ

デイヴィッド・ルボー演出の「昔の日々」を見てきた。

この公演には、アフターイベントで、
公演後に1時間の公開ワークショップがあって、
実はそれが目当てで見に行ったのだった。

ルボーが演出で最も重要視ししているのは、
芝居が「生きているか、否か」であり、
生きていれば、演技には「変化」があるから、
その「変化」が起こっているか、どうか、
起こっていなければ、何か「変化」を起こそう、とするらしい。

最初にやったのは、キャッチボール。
相手の名前を呼びながらボールを投げる。
名前を呼ぶ時に、いろんなニュアンスを込めるが、
相手から来たのと同じ意図は、繰り返さない。
例えば、「元気?」というニュアンスを込めたら、
次の人は、「死ね!」みたいなニュアンスで返すとか。
相手をよく見てないと、同じ意図で繰り返してしまう。

次は、一人が、
辺境の言語(日本人が誰も聞いたことのない言語)でスピーチして、
もう一人が、それを翻訳する、というもの。
これも相手のアクションをよく見てないとできない。
遊びみたいだけど、
一人より二人のほうができる、ということを感じられる。
相手が与えてくれるから、おもしろくなる。

俳優は時に孤立する。
一人だと閉じてしまう。
だから、Creativeは全てYesから始まる。
相手を受け入れることから始まる。
そんな説明があって、

次は、
前提のある質問に、ブロックしないで答えていく。
それを繰り返す。
例えば、
「なんで全身が青いんですか?」みたいな質問に、
全て、Yes,こうこうこうで、と答えていく。

次に、
二人羽織みたいなワーク。パートナーの手を手がかりに、スピーチ。
その次は、その発展系。
椅子に座って、二組で二人羽織の会話。
距離が近い(男女がふれあえる距離)のがポイント。

他者からの影響をブロックしない。
僕らは、片羽根の天使。
お互いがいることで飛ぶことができる。

こんなようなことをやっていました。
抜けていることもたくさんあります。
これは僕自身の備忘録としてのメモ。

2014年06月06日
 ■  劇場がアーティストを派遣する意味

昨日(6/5)は、調布の中学校に演劇アウトリーチで行った。
講師は、tamagoPLINのスズキ拓朗。俺は、助手の一人として参加。
拓朗の、ワークショップは、おもしろい!うまい!
たった60分の授業だったけど、濃密な時間だった。

60分の授業でやったことは、
ボールを使ったゲームを20分。
ペアになってやるワークを20分。
音楽に合わせて踊るワークを10分。
後は、準備と片付けで5分ずつ。

中学生は、とにかく、自分の仲間とつるみたがる。
けれど、拓朗の、絶妙な持って行き方で、
彼らは、いつの間にか、知らない大人と手を合わせたり、
体重を支え合ったりしていて、
それだけでこっちは感動してしまうのだった。

他人の重さ(体重だけじゃなくてね)を、
本気で感じる、自分の重さのように感じるってことを、
俺はすごく大事にしてるんだけど、
拓朗のプログラムも、そういうものだったと思う。
で、人間は、他人の重さをしっかり感じられた時にだけ、
本当に他人の存在というものも受け止められるんだと俺は思っている。

演劇アウトリーチの目的って何だろう?
劇場がアーティストを派遣することの意味は?
コミュニケーション講座とか、表現教育とか、
って名前の授業だと、生徒の、
コミュニケーション能力を養成しなきゃとか、
表現力を高めなきゃって思っちゃうんだけど、

「他人の重さを感じる」
アーティストがそれを必死に伝える。、
俺はそれだけでいいんじゃないかと思うんだよ。