2010年06月17日
 ■  井上ひさし「絶筆ノート」を読んで

Follow me on twitter! http://twitter.com/@Atsuto_Suzuki

6/16(水)

深夜のコンビニで、
文藝春秋の井上ひさし「絶筆ノート」を立ち読みした。
一人の作家がどう死んでいくのかが克明に綴られていた。
作家として言葉を残すことの執着。
癌が病なのか?その執着が病なのか?
それほどまでに、井上ひさしの残す言葉への執着は病的である。
そしてだからこそ、凄い。

半年以内の自分の死を自覚している者にとっての、
生きる意味とは何なのだろうか?
自分のことだけを考えていたら、生きる意味は無いのではないか?
どんなに幸福であっても個人の生には期限がある。
ヒトの中に永遠を求めてしまう性(さが)があるのなら、
非永遠である個人の人生にどんな意味を見出せる?

残る(かもしれない)言葉を書くということは、
残る者に向けて、言葉を書くということだ。
個人の生の期限を越えた行為だからこそ、意味を見出せる。
井上ひさしの「絶筆ノート」から、そんなことを感じた。

2010年06月13日
 ■  視覚障害者から見た、匂衣というお芝居 その2

Follow me on twitter! http://twitter.com/@Atsuto_Suzuki

視覚障害者の堀口晃代さんに、書いていただいた、
レポート「視覚障害者から見た、匂衣というお芝居」その2です。

-----

2、宣伝をどうするか
 本当は自分が初めの土曜日に観て、MIXIや観劇関係のMLにレビューと宣伝を乗せたかった。しかし今回風邪を引いてしまい、楽日まで劇場へ行けなかったので、その機会を逃してしまった。
 視覚障害者は、街中や電車内に出ている散らしを見て情報を得ることが難しいので、ネットやMLや点字図書館発行の雑誌などを活用して「匂衣」の宣伝をできたらよかったかもしれない。そうすれば、私以外の視覚障害者も、劇場へ足を運んでくれたのではないだろうか。又、劇団HPの公演案内にも、「視覚障害者の生活を描いた芝居」というようなコメントがもっとはっきりと書かれてあると、視覚障害関係の人たちも関心を持ったのでは?

3 駅からのガイド
 ある程度自立している視覚障害者であれば、劇場の最寄り駅までは行ける。だが、そこから劇場に辿りつくのは難しい。それが小劇場であればなおさらだと思うので、駅からガイドしていただけたのは、とてもありがたかった。

4 劇場内でのサポート
 小劇場では、音声ガイドをつけたり点字のパンフレットを準備するのは困難かもしれない。しかし、開演前もしくは終演後に、舞台セットなどを説明してもらえるとよい。
 今回の作品では、点字で「よそべえ」と書かれたよそべえの絵が舞台に出ていたが、その時点では、私にはわからなかった。終演後にそれを聞き、そこまで工夫をこらしたものがあるのならと思い、折角なので触らせてもらった。このように特徴的なものだけでも実際に触れられたなら、視覚障害を持つ観客も、よりいっそう芝居を楽しめると思う。

5 役者としての可能性
 この作品では、主演のソヌが、「韓国人である」という点を登場人物の個性にして、観客を引きつけていた。
 彼女の熱演を見ながら、私は思った。「韓国人の役を韓国人であるソヌが演じたように、視覚障害を持つあやかを、実際に目の見えない役者が演じたらどうなるか?」と。条件に合う視覚障害者がもしも見つかれば、今後、その人に目の見えない役・見えにくい役をやってもらう機会があってもよいかもしれない。

2010年06月01日
 ■  視覚障害者から見た、匂衣というお芝居 その1

Follow me on twitter! http://twitter.com/@Atsuto_Suzuki

劇団印象-indian elephant-では、
「匂衣」の公演の客観的な評価を、きちんと形に残したいと考え、
その一環として、脚本執筆の際に取材をさせていただいた、
視覚障害者の堀口晃代さんに、
「視覚障害者から見た、匂衣というお芝居」というテーマで、
匂衣を観劇して、感じたこと・良かった点・問題点・今後への課題、などを、
文章にしていただきました。

僕らの規模の劇団が、視覚障害の方を観客に想定した時に、
どういったことが問題になるのか、
作品的なこと、劇場への案内のこと、作品を楽しむために足りないもの。
僕ら以外の劇団にも参考になればと思います。

-----

視覚障害者から見た、匂衣というお芝居
2010.5.9 堀口晃代

1 作品について
 私は、2010年4月25日、17:00の特別公演を観劇した。その際、私が最も注目したのは、目の見えない登場人物である彩香の描かれ方だった。何故なら、私自身、彩香と同じように幼い頃視力を失い、全く見えない「全盲」だからである。

 作品中には、視覚障害者の生活が誇張せずリアルに描かれており、それがとても嬉しかった。まずは、彩香の登場シーン。彼女は、「ママ、私のドライヤー知らない?」といいながら、応接間へ入ってくる。見える人たちも物を無くして困ることはあると思うが、視覚に障害があると、無くし物をより見つけづらいという事実が、この台詞からよくわかる。

 続いて、母親の台詞。犬を演じる人たちに向かって、「視覚障害者は、まず部分を把握してから全体をとらえる。」と説明する。これも事実である。そして作品の中では、犬の演技が混乱したためにそれぞれの部分を上手く表現できず、「どうしてお腹に尻尾があるの?」という彩香の発言を引き出しているところが面白かった。

 「今あなたがやっていることは、私が目が見えていたらできないことなんだからね。」という彩香の台詞も印象に残っている。この発言には、彼女のいらだちや怒り・悲しみが込められている。私は、見えないことでいじめられた体験はほとんどない。しかし、見える人たちにはごく簡単にできることでも、見えない自分には難しいことに直面した場合には、この場面の彩香と似た感情を抱く。それゆえに、この台詞も心に響いた。

 「サイババってどんな髪型なの?触ってもいい?」という彩香の台詞には、好奇心旺盛な彼女の性格が表れていて、とても魅力的だった。実際、全ての視覚障害者が「触ること」を好むわけではない。けれども、私のように触覚による経験が大好きな人もいるのだということが、この台詞から観客の皆様に伝わったなら幸いである。

 「何で人の表情が見たいか考えてみたの。私がイメージしているのと同じかどうか確認したいから。」という彩香の説明は、実際に私が劇団印象の皆さんとお話した内容を取り入れてくださったものだった。これも人によって個人差はあると思うが、「もしも目が見えていたら何を見たいですか?」という問いに対する私の答えである。この作品をきっかけとして、観客の皆様にも役者やスタッフさんたちにも、「自分が本当に見たいもの」をぜひ考えてみていただきたい。

 彩香は目が見えないが、映画鑑賞に出かけたり、ダンスもする。目が見える人たちと同じような趣味を持っているのである。又、化粧をした顔を母に見せまいとして、必死に隠したりもする。顔を隠すということは、つまり、自分は見えなくとも、他人の目線を意識しているのである。こうした彩香の描かれ方も嬉しかった。何故なら、それは、小さい頃から目が見えない視覚障害者の等身大の姿だからである。

 ちなみに、彩香が化粧をした顔を隠しているのかどうかについては、見えない私には確信が持てなかった。だが、彩香の声がこもっていたことや、「眠いの?」という母の問いかけから、ベッドかソファーなどに潜りこんで顔を隠しているのだろうと私は想像した。

 同じく、幕開きのシーンで韓国人の女優が何かを壊してしまう部分も、はっきりとはわからなかった。それでも、壊したものの金額から、高価な品物であることは想像できた。

 1つ残念だったのは、「あの子の部屋にあるものは、どんなに小さなものでも動かさないでください。」という母の台詞が、稽古を拝見した際には入っていたのだが、本番ではカットされていたこと。(私が聞きもらしたのかもしれないが)。視覚障害者と関わるときにこれはとても大切な点なので、カットされていたのであれば、ぜひ入れていただきたかった。