数日前ですが、韓国から帰ってきました。
韓国、むっちゃ楽しかったです。
体験記途中になってますが、
まとめて、しかるべき場所に発表しようと思ってます。
そして、
2009年お世話になりました。
2010年もよろしくお願いします。
大学路(テハンノ)というところがある。
80から100件の劇場がある街。
大きさは、表参道ぐらいの横幅があり、
長さも原宿駅から表参道駅ぐらいかな。
そして、雰囲気は渋谷のセンター街という感じ。
24時間、飲んでいられる若者の街。
ここは韓国の演劇のメッカ。
中心にあるソウル演劇センターでは、
80から100件の劇場の全ての公演情報がわかる。
日本と大きく違うのは、一般の観客がとても多いということ。
(日本はコアな演劇ファンと、演劇をやっている人がお客さんの割合として多い)
写真のように、たくさんの観客が、情報を求めて、このセンターに来るし、
待ち合わせの場所にもなっている。
(写真の写ってる逆側がカフェっぽくなってる)
2階は図書館。(日本の演劇雑誌もあった)
3階は子供預かり所になってる。
センターの外の窓口では、
各劇場で当日売れ残ったチケットが半額で売っている。
演劇と一般の観客との距離が、日本より全然近い。
23日。3日目。
僕のこっちでの一日のスケジュールは、
朝8時半に朝ごはん。
10時から12時半まで稽古。
昼食をとって、
14時から17時半くらいまで稽古。
そして、夕食。
19時過ぎにお芝居を見る。
見終わったら、お店に入ってまたご飯。
今夜見たお芝居は、
お世話になってるコリペの、
ミュージカル版「真夏の夜の夢」。
まず、すごいのが、
朝は能のワークショップをやっていた役者たちが、
夜はミュージカルに出演する。
開演は19時半だったが、16時半ぐらいまで、
能の稽古をして、その後、宿舎でご飯を作って食べて、
そこから劇場に入る。
日本では、本番の前に別の公演の稽古をしているのは、
歌舞伎俳優ぐらいじゃないだろうか?
コリペの役者は、若い人もたくさんいて、
でも、みんな演劇だけで食べている。
そして、演劇だけで食べるということは、
朝昼稽古で、夜本番が当たり前の生活。
演劇の会社に入ってるという感じですね。
今夜の「真夏の夜の夢」は、
舞台をニューヨークに置き換えた、
素晴らしい作品だった。
こういう作品を、普段あまり演劇を見ない、
友達の須田怜に見せたい。
見せたらどう思うだろうか?
写真などをアップできたらよいのだが。
12月22日。2日目。
大量の牡蠣に、特に体調を崩すこともなく。
毎日たくさんご飯を食べさせてもらう日々。
能のワークショップ。
韓国人がなぜ能をやるのか?やっているのか?
段々とわかってきた。
ハムレットのラストシーンを能の形式に置き換えていく。
というよりは、能の型ややり方の中で、気に入った部分が選ばれていく。
そうすると、外国人にも伝わる、能の普遍的な部分が残っていく。
日本人なら、こういうものだから、と疑いなく残されているものが、
韓国人の感覚によって、選り分けられていく。
しかし、残ったものが能じゃないとは言えない。
そこが、能の普遍性なのかもしれない。
一日四食で、さすがに食べすぎかもしれない。
昨日(22日)は稽古後にイ・ユンテク氏演出の「ヴェニスの商人」を見て、
その後、深夜1時まで四食目の鳥料理屋に。
ここの食事は辛かった。
イ・ユンテク氏が電話で幹部たちを呼び出すと、
遅い時間にも関わらず、みんな出てきた。
ちょっと軍隊ぽい?いや家族かな?絆の強い(つながりの濃い)家族?
21日の21時頃に、世一さんがゲリラ劇場に到着。
そこから話し合いがあって、
僕は世一さんともう一人劇作家の人と三人の相部屋。
世一さんが朝から何も食べてないということで、
牡蠣を食べに行く。
数え切れないほどの牡蠣を食った。
日本の焼肉屋みたいな感じの、蒸し牡蠣屋。
まず、前菜に生牡蠣とキムチの付け合わせ。その後、
大きなバケツいっぱいの牡蠣をだーっとテーブルの長方形の穴に入れて、
蒸す。蒸しあがったらひたすら食う。
とりあえず、韓国にいる。
宿も全く予約せずに、
世一さんの「来たら、どうにかなるよ」の言葉を信じて、
着の身着のまま、ソウルに来た。
ゲリラ劇場に16時半頃に着いただろうか?
ゲリラ劇場は今回お邪魔する、
韓国の蜷川幸雄:イ・ユンテク氏の劇場。
その近辺とおぼしき場所まで行ったが、
正確な場所がわからない。
通りがかりの人に、ゲリラ劇場はどこかと聞いたら、
親切に劇場の人を呼んできてくれて、
「セイルさんのチング(友達)です」と言ったら、
稽古場に案内してくれた。
で、17時半過ぎまで能の稽古。
18時に劇団員の作った夕ご飯のご相伴に預かる。
部活動の合宿所を思い浮かべてもらえれば、
イメージが伝わるだろうか?
小さな食堂で、10人ぐらいで、ご飯を食べた。
男たちの手作りまかない飯って感じで、
(女の人もいたけど)
豪華ではなかったけど、美味しかった。
キムチも韓国海苔も美味しかった。
セイルさんはまだいない。
今夜の宿は大丈夫だろうか?
最悪稽古場に寝かせてもらおう、そんなことを考えてる。
噂どおりにこちらの気温は寒い。
でも噂どおりにこちらの人は温かい。
あと6日間。
たくさんキムチを食いながら、
たくさんの仲間を作り、
たくさん演劇の話をしてこようと思う。
今のところ、英語でコミュニケートしちゃうことが多いけど、
できるだけ韓国語でやってこようと思う。
どうなることやら。
キム・セイルさんが能のワークショップに来ないか?
というので、秋川の某能楽師のお家に行ってきた。
え?秋川ってどこ?東京の西です。あきる野市です。
遠いよ。なんか愛知よりも遠い気がしたよ。
見学のつもりだったのに、参加させられた。
しかも、能ってだけで敷居が高いのに、
韓国語で能を謡って舞うんです。
極限的な状況に追い込まれると、脳って活性化するのね。
なんか、ハングルの文字が段々と読めるようになっていくから不思議。
ただし、音はわかっても、意味はわからないですから。
稽古後に、能楽師のご夫婦と焼き鳥を食べに行って、
その後、場所を移して、セイルさんと朝4時まで飲む。
今日驚いたのは、
セイルさんの「韓国の近代演劇は日本の金色夜叉から始まった」という発言。
なぜなら、当時の日本の新しい演劇=新派が、そのまま韓国に持ち込まれ、
植民地だった韓国は、
そこから自分たちの近代演劇を始めるしかなかったから。
良きにつけ悪しきにつけ、韓国の近代というのは、
日本文化を避けては通れない。
しかし、100年後、
韓国は日本よりもずっと進んだ文化発信の国になってしまった。
演劇だけじゃない。映画だってそうだ。
次の100年のために、僕らは今学ぶべきなのだ。
年末、12/21から韓国に行ってきます。
一応、1週間で帰ってくるつもりですが、
状況次第ではもうちょっと長居するかもしれません。
今回の渡韓の目的は、
1.数年後に考えている韓国公演のためのネットワークづくり
2.日本より進んでいるという韓国の演劇事情の視察
3.韓国の蜷川幸雄と言われているイ・ユンテク氏の能のWSへの参加
などなどです。
まず、1.について。
なぜ韓国公演なんかを考えているのか?
単純に、自分の作品が日本人以外の観客にはどう見えるかが知りたい。
観てもらえるのなら、できるだけたくさんの人に観てもらいたいわけだから。
国境も国籍も越えてね。
2.とも関連するんだけど、
日本よりも演劇が、社会的に認知されている、
必要とされている状況とはどういうものなのかも見たい。
それに、
各方面から指摘された父産のポストパフォーマンストークのまずさ。
今回の母国語を使わない演劇旅行によって、
自分の演劇観を客観化して、
きちんと言語化できたらと思う。