2009年12月31日
 ■  帰国と年越し

数日前ですが、韓国から帰ってきました。
韓国、むっちゃ楽しかったです。
体験記途中になってますが、
まとめて、しかるべき場所に発表しようと思ってます。

そして、
2009年お世話になりました。
2010年もよろしくお願いします。

2009年12月24日
 ■  ソウル演劇センター

大学路(テハンノ)というところがある。
80から100件の劇場がある街。
大きさは、表参道ぐらいの横幅があり、
長さも原宿駅から表参道駅ぐらいかな。
そして、雰囲気は渋谷のセンター街という感じ。
24時間、飲んでいられる若者の街。

ここは韓国の演劇のメッカ。
中心にあるソウル演劇センターでは、
80から100件の劇場の全ての公演情報がわかる。

日本と大きく違うのは、一般の観客がとても多いということ。
(日本はコアな演劇ファンと、演劇をやっている人がお客さんの割合として多い)
写真のように、たくさんの観客が、情報を求めて、このセンターに来るし、
待ち合わせの場所にもなっている。
(写真の写ってる逆側がカフェっぽくなってる)

2階は図書館。(日本の演劇雑誌もあった)
3階は子供預かり所になってる。
センターの外の窓口では、
各劇場で当日売れ残ったチケットが半額で売っている。

演劇と一般の観客との距離が、日本より全然近い。

 ■  禁欲と興奮、演劇で食べる

23日。3日目。

僕のこっちでの一日のスケジュールは、
朝8時半に朝ごはん。
10時から12時半まで稽古。
昼食をとって、
14時から17時半くらいまで稽古。
そして、夕食。
19時過ぎにお芝居を見る。
見終わったら、お店に入ってまたご飯。

今夜見たお芝居は、
お世話になってるコリペの、
ミュージカル版「真夏の夜の夢」。
まず、すごいのが、
朝は能のワークショップをやっていた役者たちが、
夜はミュージカルに出演する。

開演は19時半だったが、16時半ぐらいまで、
能の稽古をして、その後、宿舎でご飯を作って食べて、
そこから劇場に入る。
日本では、本番の前に別の公演の稽古をしているのは、
歌舞伎俳優ぐらいじゃないだろうか?

コリペの役者は、若い人もたくさんいて、
でも、みんな演劇だけで食べている。
そして、演劇だけで食べるということは、
朝昼稽古で、夜本番が当たり前の生活。
演劇の会社に入ってるという感じですね。

今夜の「真夏の夜の夢」は、
舞台をニューヨークに置き換えた、
素晴らしい作品だった。
こういう作品を、普段あまり演劇を見ない、
友達の須田怜に見せたい。
見せたらどう思うだろうか?
写真などをアップできたらよいのだが。

2009年12月23日
 ■  食と普遍性 うまいものはうまいし

12月22日。2日目。
大量の牡蠣に、特に体調を崩すこともなく。
毎日たくさんご飯を食べさせてもらう日々。

能のワークショップ。
韓国人がなぜ能をやるのか?やっているのか?
段々とわかってきた。

ハムレットのラストシーンを能の形式に置き換えていく。
というよりは、能の型ややり方の中で、気に入った部分が選ばれていく。
そうすると、外国人にも伝わる、能の普遍的な部分が残っていく。
日本人なら、こういうものだから、と疑いなく残されているものが、
韓国人の感覚によって、選り分けられていく。

しかし、残ったものが能じゃないとは言えない。
そこが、能の普遍性なのかもしれない。

一日四食で、さすがに食べすぎかもしれない。
昨日(22日)は稽古後にイ・ユンテク氏演出の「ヴェニスの商人」を見て、
その後、深夜1時まで四食目の鳥料理屋に。
ここの食事は辛かった。
イ・ユンテク氏が電話で幹部たちを呼び出すと、
遅い時間にも関わらず、みんな出てきた。
ちょっと軍隊ぽい?いや家族かな?絆の強い(つながりの濃い)家族?

 ■  キムチの国からアンニョンハセヨ vol.2

21日の21時頃に、世一さんがゲリラ劇場に到着。
そこから話し合いがあって、
僕は世一さんともう一人劇作家の人と三人の相部屋。

世一さんが朝から何も食べてないということで、
牡蠣を食べに行く。

数え切れないほどの牡蠣を食った。
日本の焼肉屋みたいな感じの、蒸し牡蠣屋。
まず、前菜に生牡蠣とキムチの付け合わせ。その後、
大きなバケツいっぱいの牡蠣をだーっとテーブルの長方形の穴に入れて、
蒸す。蒸しあがったらひたすら食う。

2009年12月21日
 ■  キムチの国からアンニョンハセヨ vol.1

とりあえず、韓国にいる。
宿も全く予約せずに、
世一さんの「来たら、どうにかなるよ」の言葉を信じて、
着の身着のまま、ソウルに来た。
ゲリラ劇場に16時半頃に着いただろうか?

ゲリラ劇場は今回お邪魔する、
韓国の蜷川幸雄:イ・ユンテク氏の劇場。
その近辺とおぼしき場所まで行ったが、
正確な場所がわからない。
通りがかりの人に、ゲリラ劇場はどこかと聞いたら、
親切に劇場の人を呼んできてくれて、
「セイルさんのチング(友達)です」と言ったら、
稽古場に案内してくれた。
で、17時半過ぎまで能の稽古。

18時に劇団員の作った夕ご飯のご相伴に預かる。
部活動の合宿所を思い浮かべてもらえれば、
イメージが伝わるだろうか?
小さな食堂で、10人ぐらいで、ご飯を食べた。
男たちの手作りまかない飯って感じで、
(女の人もいたけど)
豪華ではなかったけど、美味しかった。
キムチも韓国海苔も美味しかった。

セイルさんはまだいない。
今夜の宿は大丈夫だろうか?
最悪稽古場に寝かせてもらおう、そんなことを考えてる。

噂どおりにこちらの気温は寒い。
でも噂どおりにこちらの人は温かい。

あと6日間。
たくさんキムチを食いながら、
たくさんの仲間を作り、
たくさん演劇の話をしてこようと思う。
今のところ、英語でコミュニケートしちゃうことが多いけど、
できるだけ韓国語でやってこようと思う。
どうなることやら。

2009年12月15日
 ■  韓国と自分をつなぐ旅、準備編vol.2

キム・セイルさんが能のワークショップに来ないか?
というので、秋川の某能楽師のお家に行ってきた。
え?秋川ってどこ?東京の西です。あきる野市です。
遠いよ。なんか愛知よりも遠い気がしたよ。

見学のつもりだったのに、参加させられた。
しかも、能ってだけで敷居が高いのに、
韓国語で能を謡って舞うんです。
極限的な状況に追い込まれると、脳って活性化するのね。
なんか、ハングルの文字が段々と読めるようになっていくから不思議。
ただし、音はわかっても、意味はわからないですから。

稽古後に、能楽師のご夫婦と焼き鳥を食べに行って、
その後、場所を移して、セイルさんと朝4時まで飲む。

今日驚いたのは、
セイルさんの「韓国の近代演劇は日本の金色夜叉から始まった」という発言。
なぜなら、当時の日本の新しい演劇=新派が、そのまま韓国に持ち込まれ、
植民地だった韓国は、
そこから自分たちの近代演劇を始めるしかなかったから。
良きにつけ悪しきにつけ、韓国の近代というのは、
日本文化を避けては通れない。

しかし、100年後、
韓国は日本よりもずっと進んだ文化発信の国になってしまった。
演劇だけじゃない。映画だってそうだ。
次の100年のために、僕らは今学ぶべきなのだ。

2009年12月10日
 ■  韓国と自分をつなぐ旅、準備編vol.1

年末、12/21から韓国に行ってきます。
一応、1週間で帰ってくるつもりですが、
状況次第ではもうちょっと長居するかもしれません。

今回の渡韓の目的は、

1.数年後に考えている韓国公演のためのネットワークづくり
2.日本より進んでいるという韓国の演劇事情の視察
3.韓国の蜷川幸雄と言われているイ・ユンテク氏の能のWSへの参加

などなどです。

まず、1.について。
なぜ韓国公演なんかを考えているのか?
単純に、自分の作品が日本人以外の観客にはどう見えるかが知りたい。
観てもらえるのなら、できるだけたくさんの人に観てもらいたいわけだから。
国境も国籍も越えてね。

2.とも関連するんだけど、
日本よりも演劇が、社会的に認知されている、
必要とされている状況とはどういうものなのかも見たい。

それに、
各方面から指摘された父産のポストパフォーマンストークのまずさ。
今回の母国語を使わない演劇旅行によって、
自分の演劇観を客観化して、
きちんと言語化できたらと思う。