2009年07月27日
 ■  消えた劇場と主観的大切論

7/25(木)

うちから花火が見えるからおいでと誘われて、
友人宅の花火見パーティーにのこのこ出て行ったのは、
花火がめあてではなく、
そのおうちのご主人が寿司職人で、ご馳走がちらし寿司だったからと、
そのおうちというのが森下にあって、
取り壊されたと噂に聞くベニサンピットがどうなったか見に行けると思ったからだ。

森下と隅田川はそこまで近くはない。
頭に東京の地図と距離感覚がないから、
マンションの窓から見える花火が思いの外小さかったのには、
花火めあてではないとは言え、いささかがっかりした。
いや、がっかりしたというか、笑ってしまった。
だって、窓から見えるその花火はかわいいほど小さかったのだもの。

それでも、リビングにあった大画面のテレビの花火中継よりは、
肉眼で見る花火のほうに、なぜか心は動いた。
ちっちゃくても自分の目で見たほうが感動するのはなんでだろう?
こんなことなら日食も自分の目で見ておくんだった。

23時半頃お暇し、
白い壁に覆われ、その壁の中はからっぽの旧ベニサンピット跡地を覗く。
跡地の正確な場所を聞いた時に、「もう何もないよ」と言われたが、
何もないということを自分の目で確認したかった。
ジャンプして壁の向こう側を覗くと、やはり何もなかった。

僕は、この劇場では、空白に落ちた男しか、見ていないが、
その時に感じた、劇場の質感ははっきりと記憶に残っている。
そして、劇場がなくなるということは、
多くの作り手と観客の双方が愛した、この質感が消えることなのだと、
今さらながらに思った。

投稿者 atsuto : 2009年07月27日 20:35

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