クリント・イーストウッドの硫黄島二部作は、
反戦映画ということで、野田地図「ロープ」との共通点が多かったと思います。
もちろん、映画と演劇で手法が違うので、受ける印象は違いますが。
映画を観る順序としては、公開順に、
アメリカ版、日本版と観るといいと思います。
なぜかは後述しますが、僕は、
「父親たちの星条旗」は、1/24(水)に、渋谷のシネマGAGA!で、
「硫黄島からの手紙」は、2/1(木)に、新宿の新宿ミラノ2で観ました。
「父親たちの星条旗」/「硫黄島からの手紙」
監督:クリント・イーストウッド
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
二部作は、一部と二部というよりは、表と裏で、
アメリカ版では、攻撃の対象だった顔の見えないゲリラ兵だったのが、
日本版を観ると、
なんだ、アメリカ兵と同じように、あいつらにだって顔があったんじゃないか、
同じ人間として、同じように戦争の理不尽さに巻き込まれてるんじゃないか、
そう感じられるつくりになっています。
そこら辺は、ロープの覆面の兵士の描写に似てますね。
この二作品は、戦争の描き方が重層的で、
顔のないゲリラ兵/顔のある日本人の対比だけでなく、
アメリカ版では突如ヒーローになった下級兵士の群像劇であるのに対し、
日本版では、エリート・インテリの上級兵士の群像劇だったと思います。
二宮君は下級兵士ですが、狂言回しですね。
下級兵士が主人公であるからこそ、
国家がどういう風に国民を騙し、
国民を戦争に動員していくのかがテーマだったし、
上級兵士が主人公であるからこそ、
なぜ、エリート・インテリ(栗林中将やバロン西)が、
皇軍に従事するという理不尽を受け入れるのかがテーマだったと思います。
特に、日本版は、西洋化したエリート・インテリが、
どうして、日本人として死ぬことを選ぶのか、
観客に考えさせるように構成されている気がしました。
そのことは、自由でありながら、不自由を生きる僕らに対して、
よき人生とは何かを問うてる気もしましたが、
それはまた別の時に書きたいと思います。
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