お肉とお野菜、どっちが好きかと聞かれても、
なかなか答えるのは難しいのだけれども、
動物園と植物園は、どっちが好きかと聞かれれば、
私は、今日に限っては、間違いなく、動物園と答えると思う。
動くものを、何の意味もなく、観る楽しみというのがある。
動物を観る楽しみもそれで、
動物園でも、寝ているライオンや虎を見るよりは、
常に、耳や鼻、目を動かしている象やキリンを見ているほうが面白い。
彼らは(象やキリンは)ちょっと、身体のバランスが悪い気がする。
だから、なんだか危なっかしく、倒れるんじゃないかとか、
余計な心配をしながら、つい真剣に見入ってしまう。
井手茂太さんのダンスは、今回、初めて見たのだが、
人は、動いているものを見る、
ただそれだけのことだけで楽しめる存在なんだと、
やや大袈裟に言えば感じさせてくれた。
それはとても、贅沢でいとおしい、
なんだか、子供の頃に戻ったような感覚である。
語弊があるかもしれないが、
井手茂太という動物を観ていた、そういう感覚。
井手茂太さんは、
ダンサーという言葉で連想できるような身体はしてなくて、
わかりやすい言葉で言えば、デブ(小デブ)なのである。
でも、だからそこそ、ほっとけなさを感じしてしまい、
見ていて面白いのかなあとも思う。
うん、ちょっと違うな。ほっとけなさだけではなく、
動いているものを観るという行為は、
実は、頭の中で、次、こいつはこう動くんじゃないかと、
絶えず、シミュレートしていて、
そのシミュレートを裏切られるところに面白さがある気がする。
だから、サッカーのドリブルじゃないけど、フェイントが大事なのだ。
ある流れの中で、一瞬、流れに合わない動きをされると、
そのチャーミングさに、胸がキュンとするのである。
そうした、
贅肉の下に隠された筋肉の躍動に、驚き、笑い、油断していたら、
彼の振り付けの、動物的でなく、人間的というか、
意図して創られたイメージの世界に、私はすっかり引き込まれていた。
ダンスのコント的部分で、こちらの注意を引いておいて、
私を、突然、別の世界に引きずり込んだ。
また、すぐに、コントの世界に戻ったは戻ったのだけど、
もうその後、私は、
笑うということはなく、ひたすら彼の身体に見入ってしまった。
あれは、なんだったのだろう。まるで言語化できない。
人が、言葉を持つ前に、つまり、言葉で世界を認識することを覚える前に、
見えていた世界が、少なくとも、私の中には訪れて、
美しいという概念が頭の中にない人が感じる美しさだったような気がする。
これは、美しいんだと理解することなしに、ただ美しさを感じている感覚。
ああ、まるで言語化できまない。
入りやすいところから入って、
気づかないうちに、違うところに連れて行かれたというのがあって、
私は、井手茂太のダンスに、すっかり、やられてしまったのです。
-データ-
SePT独舞vol.13
井手孤独【idesolo】
@シアタートラム
出演者
・井手茂太