2004年07月14日
 ■  サイモン・マクバーニーの「エレファント・バニッシュ」

サイモン・マクバーニー(※)演出の、
「エレファント・バニッシュ」は、すごい作品でした。
村上春樹の小説の世界が精緻に演劇化されていたから、
というのは、その本質を表していない言い方になります。
音と光と映像の使い方が秀逸だったという言い方も、
正しいが的確な言葉ではありません。
では、何なのか。

それは、漠然としていますが、
「世界」がただそこにあったのです。
「世界」とは、あたかもそこに実在するかのような、
フィクショナルな空間と時間の在り方です。
翻っては、もしかしたら、私達が今暮らしている現代社会も、
一つの「世界」かもしれないというマトリックス的な絶望を含みます。
そして、この「世界」の共有が、は演劇にとって最も大事なものだと、
僕は考えています。

「エレファント・バニッシュ」は、その「世界」の共有のために、
演出が徹底されていました。それは、もう最初の最初から。
ハプニングをわざと起こし、一気に観客を「世界」へ引き込みます。
そして、一度、「エレファント・バニッシュ」の「世界」へ入ったら、
幕が下りるまで、僕らはただそこにいるのです。
「エレファント・バニッシュ」の「世界」の住人として、
ただそこにいるのです。
あらゆる演劇的技法、あらゆるマルチメディアを駆使しながらも、
「世界」を構成する演出があざとくなく自然で、
だから、僕らは、ただそこにいられるのです。

体験という言葉がぴったりとはまります。
これは、すごく不思議な「世界」の体験でした。

※イギリスのテアトル・ド・コンプリシテの演出家。
 身体を使ったいわゆる”見立て”の演出が特徴。