2010年8月22日(日)
井上ひさしの戯曲「小林一茶」を題材に使って、
ワークショップをやる。
自分以外の作者の戯曲を演出することなんてほとんどなかったので、
1、一言一句、テキストを変えずにやるべきか?
2、でも、今の時代性(なんじゃそりゃ?)を出したい
3、ラップ調で読むか?(SR サイタマノラッパーを見た影響か?)
4、今回の参加メンバーに合ってるか?
などなど、いろいろ邪念が湧く。
いくつか演出プランを考えていたんだけど、
稽古をやってみたら、どれもイマイチで、
結局、筋だけ残して、即興で作っていく、
という、いつものやり方が一番しっくりくる、というか好き。
その即興の評価軸は、
狂っているキャラクターかどうか。
でも、ただ狂ってるというだけではダメで、
狂っていることに、真実を見せてほしい。
(狂ってるほうこそ、正常だと思わせてほしい)
見えてきた、大テーマは、
「言葉の業」と「普通の幸福」の対決。
これを稽古前に、見つけておきたかった。
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「ロビンソンとクルーソー」は、
三島さん、仲谷さんと出会った作品だから、僕は思い入れがある。
(その時の感想はちょこっとしか書いてないけど)
1月に見たのは、李潤澤(イ・ユンテク)演出。
TACT/FEST@芸劇で、「ロビンソンとクルーソー」のオリジナル版、
Meridiano Theatre(メリディアーノ・シアター)の、
"Robinson & Crusoe"を見てきた。
やっぱり、この芝居はいい!
知らない者同士、国が違う同士の二人が、
出会って、取っ組み合いのケンカをして、
いつしか仲良くなって、別れる。
たった3行で説明できるストーリー。
なのに、とても感動的なのだ。
そして、比べると、イ・ユンテク版の凄さというか、
彼の世界の見方にあらためて、驚く。
以下、ネタばれ。
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2008年に、日本の演劇賞を総なめにした「焼肉ドラゴン」。
荻窪の図書館に戯曲があった。
いい機会。先に、戯曲を読んで、
ずっと見ていなかったNHKの録画を見る。
つまり、どのように演出されていたかをしっかり見てみる。
それにしても今朝は涼しい。
具象的なセット。リアルな小道具群。
つまり、ヴィジュアル的にはスタンダードな演出。
実は、戯曲はそこまでの面白さを感じなかった。
つまらないということではない。パターンが見える。
在日というフィルターを除けば、平凡な家族の物語であり、
恋愛のよくある話だと思ったのだ。
おっと、蝉が鳴き出した。
僕が韓国でお世話になった、
李潤澤(イ・ユンテク)さんの講演があります。
イ・ユンテクさんは、
韓国の蜷川幸雄と言われる、
韓国ではかなり有名な演出家ですが、
(演出料一本300万だとおっしゃってました)
時には、脚本書いたり、詩を書いたり、
演出のタイプは、蜷川さんとは大きく違います。
僕は、昨年夏に上演された、イヨネスコの「授業」の、
イ・ユンテクさんの演出を見て、衝撃を受けました。
彼の演出は、言葉がわかんなくても、
こちらに否応なく突き刺さってきます。
有料のワークショップもやるようですが、
講演は無料なので、みなさん、一緒に行きませんか?
李潤澤(イ・ユンテク)の演技論、
「俳優の息」
日時:2010年10月1日(金) 15:00~17:00
会場:東京大学文学部1番大教室(法文2号館2階)
<お問合せ先>
東京大学文化資源学研究室
TEL/FAX:03-5841-3722
E-mail:bunka☆l.u-tokyo.ac.jp
※☆を@に変えてお送りください。
※事前の予約は不要です。
主催:東京大学文化資源学研究室・次世代人文学開発センター
後援:日本演出者協会
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今年の夏は戦争についてとても考えてしまう。
歳を取ったからだろうか。
寺脇さんと飲んだ時、
新国立でやった、井上ひさしの「夢の痂」 について、
僕は、「天皇に対する責任追求が甘い気がした」なんてことを、
生意気にも口にして、
「俺もお前みたいに若い時はそう思ったと思うよ」
なんて言われてたんだけど、
寺脇さんのブログの中で、こんな言葉を見つけて、
胸に重いボールをぶつけられた気がした。
「井上ひさしさん」より引用
http://www.f-kyoukai.com/blog01/?p=152
>井上ひさしの歴史劇が、
>戦争を引き起こした連中を糾弾するだけでなく
>わたしたちひとりひとりの心の中にも
>戦争につながる要素があったのかもしれない、
>と問いかける姿勢とつながってきます。
あの芝居を、
わたしたちひとりひとりの心の中にある、
戦争につながる要素という視点で見直したら、
何が見えてくるのだろう?
お芝居は映画と違って、
DVDを借りてきて見る、ということができないけれど、
もし、また再演があれば、
そういう視点を通して、
あの芝居と出会い直したい。
寺脇さんとお酒をご一緒した。
当然、お芝居の話をした。
寺脇さんは、
寺脇「君んところは役者がいいね。そこは気に入った」
鈴木「ホンはどうですか?演出は?」
寺脇「芝居はね、1本見ただけじゃわからない。
イチローだって3割しかヒットは打たないだろ?」
鈴木「それってダメだったって意味ですか?」
寺脇「まあこれからだな」
鈴木「・・・」
寺脇「好きな作家は誰なの?」
鈴木「野田秀樹です」
寺脇「俺はあいつの芝居は好きじゃない」
鈴木「・・・」
寺脇「他には?」
鈴木「あ、井上ひさしを最近読んで」
寺脇「お、俺は井上さんは好きだぞ」
鈴木「小林一茶というホンは面白かったんですけど」
寺脇「あれは初演を見たけど俺は好きじゃなかったな」
鈴木「・・・」
という風に、会話も弾み、
鈴木「俺は野田秀樹好きなんですよ」
寺脇「別に俺は野田秀樹好きなヤツを否定してねえぞ。
ただ、お前がMを好きだったら否定するけどな」
鈴木「・・・」
寺脇「まさか好きなのか?」
鈴木「ダメっすか?」
寺脇「あんな歴史の勉強もしてないヤツを好きだなんて」
鈴木「ダメっすか?」
寺脇「あれはナルシストだぞ?俺は表現者でナルシストは大嫌いなんだ!」
鈴木「表現者なんてナルシストじゃなきゃやってられません」
寺脇「わかった。もう、てめえの芝居なんか見ねえ!」
鈴木「さっき、また見るって言ったじゃないっすか?」
寺脇「クソっ、そういえば言った。ブログにもまた見るって書いちまった!」
という、楽しい時間を過ごしました。
※会話の内容は、かなり脚色してあります。
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野田秀樹が「井上ひさしを語り継ぐ」で、
「小林一茶」を読んだというそれだけの理由で、
僕は、「小林一茶」を読んだ。
井上ひさしは、いい話を書く、作家だという偏見が僕の中にあった。
でも、小林一茶は、その意味では、いい話では、全くなかった。
物書きの、いやらしい業の話だった。
つまり、俳諧師として名を上げるためだったら、
周りの人間をいくら不幸にしても構わない男の話だった。
その業というのが、
いわゆる物書きの業だけではなく、
人間の業という、普遍的なところまで立ち昇ってるから、
おもしろかった。
そして、野田秀樹が、
「24歳の時に、言葉のプロになろうと思っていた時に出会った」
と言って、なぜ、語り継ぐ会で読む戯曲として、
この作品を選んだのかも考える。
「小林一茶」の中にある、あるものが、
僕の作品に一番足りないもののような気がするのだ。
関連エントリー:
井上ひさし「絶筆ノート」を読んで
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